ドタキャンされた話

 今思い返すと恥ずかしいくらいに浮かれていた。でも、仕方がなかったで許されたい。なんせ僕がかっちゃんとお付き合いすることになって初めて取り付けたデートの日だったのだ。だというのに、待ち合わせの約束をしていた時間の三十分前にインターン先からの緊急要請があったらしく、悪いと一言を最後にかっちゃんからのメッセージは途絶えてしまって僕は今、この世界で一番がっくりと肩を落としている不運な高校生であると自負している。  デートと称しているけれど、実際はお付き合いをする前からしていた買い物や運動がてらのランニングと然程違いはない。今日は二人きりでゆっくり話をしながら美味しいものを共有したいと思い、課題を熟しながら喫茶店でのんびり過ごすつもりだった。今日じゃなくても、また今度でもできる。そんなの分かってる、それでも僕は今日、かっちゃんに会って、時々垣間見えるふとした笑顔や優しいけど時たま突っかかってくる声に浸って幸せを感じたかった。わがままだ、知ってる。たかが恋人になったばかりで普段も一緒にいる時間が長い僕が、誰かの命が掛かっているかも知れない緊急要請より優先度が高いわけがない。むしろかっちゃんが僕を優先するなんてことをしたら、僕がかっちゃんのことを許せないし、かっちゃんがそんな馬鹿な判断をするわけがない。そう、分かっているはずなのに。 「ダメなやつだ、僕は……」  目的だった喫茶店にはどうしても足が向かず、近くにあった公園のベンチに腰を下ろす。週末の公園は親子連れが遊具で遊ぶ楽しそうな声が多く聞こえ、こんなにお日柄もよく自然豊かな場所で暗い顔をしている人間はどうやら僕だけのようだった。尚更気分が落ちる。それでも、日が昇りぽかぽかと暖かな日差しは僅かながらも僕の暗い気持ちを明るくさせていた。いつまでもくよくよしていては、今頃真剣にヒーロー活動に励んでいるかっちゃんに顔向けできない。僕は僕ができることをして、疲れて帰ってくるであろうかっちゃんを少しでも元気付ける心構えと準備をしなければ。そう思い直し、それでは早速とその場に立ち上がった直後、ころころとピンク色のボールが僕の足元へと転がってぽすんとぶつかった。 「すみませーん!」  まだ小学校に上がる前くらいの小さな男の子が、そのボールを追い掛けるように慌てて駆け寄ってくるのが見えた。 「あの、ぼくのボールっ……」 「はい、どうぞ」 「ありがと……あ、え!? で、でく?」  汗びっしょりで手渡したボールを抱えながら、僕を見上げた男の子は驚きを隠せない様子で、しかし大きな瞳をきらきらと輝かせて興奮している傍ら、もう一人友達らしき男の子が不機嫌そうな面持ちで側に寄り、ぽかりと頭を叩いてようやくぼんやりとした意識が覚醒する。 「何チンタラしてんだよ、グズ!」 「だ、だって! ほんもの、ほんもののデクだよ!」 「デクより大・爆・殺・神ダイナマイトのがカッケーだろ!」  これでもかと言わんばかりに何度も叩いている男の子を宥めながら、なんだか昔の僕とかっちゃんを見ているようで不思議と胸の奥がほっこりする。 「君たち、僕のことよく知ってるね」 「うんっ。ぼく、ヒーローだいすきなんだ」 「つか、あんなんテレビで見たら誰だって覚えとるわ」  ふん、とさも当然のように腕を組み照れ臭そうにそう答える男の子はどうやら既にかっちゃんの影響を多大に受けているようで、よく見たら髪型も少し似ていた。そして、すでに発現しているらしい個性を(こっそり)使い、隣の子にきらきらと輝く手のひらを見せては笑い合っている。 「君のそれは……爆破、ではないか。とても綺麗な個性だ」 「母ちゃんが、手のひらからキラキラ出せる個性で、俺のもたぶんおんなじ」 「へえ、すごいや! 触ってもいいかな」 「仕方ねー、許す」  彼の言うキラキラは恐らくかっちゃんと同じ発汗による輝きで少しばかり熱が帯びていてとても温かい。きっともう少し大人に成長して個性伸ばしの訓練を受ければ、轟くんの半燃まではいかずとも物を溶かせるまでの熱さまで出せるようになるかも知れない、とても素敵な個性だなと思った。 「この熱があれば、低体温になって苦しんでる人を暖めてあげたり、災害時の湯沸かしや非常食を温めて美味しく食べられるかも。傷付いた人に優しく出来るすごい個性だ」 「ぼくも! ぼくも、たーくんの個性あったかくて大好き!」 「アッ、い、このアホ! 抱き着くな!」 「たーくんが寒い時は、ぼくがこうしてあっためてあげるね」  たーくんと呼ばれ抱き締められている男の子は顔を真っ赤にして必死に引き剥がそうとする、といったほんわかした様子につられて思わず目を細めた。  ふと、日が傾き始め空気が冷たくなって肌寒く感じてくる。そういえば、梅雨入りをしたと今朝のニュースでお天気お姉さんが言っていたことを思い出した。夕方から気温が下がってくることも知っていたけれど、今日はかっちゃんと会えないと分かってからは、どこか心ここにあらずですっかり失念していた。薄手の長袖シャツ一枚で家を出てしまったので風が吹くたびにぶるりと体が震える。 「……暗くなってきたし、二人もそろそろお家に帰ろうか」 「デクは? 誰か待ってるの?」 「約束してたけど、用事が出来て来られなくなっちゃったんだ」 「もしかして、大・爆・殺・神ダイナマイト?」 「うん、今日はプロヒーローのところでたくさんの人を救けてるんだよ」 「はあ? ドタキャンダイナマイトじゃん」 「……だあれがドタキャン最低男だってェ?」  たーくんがつまらなさそうに溜息を吐いた直後だった。今日はもう会えないとばかり思っていたし、今日会えなくてもまた週明けに学校が始まれば彼と登校できるのだから、これ以上駄々をこねるのはただの我儘でしかない。そう、思っていたのに。肩を上下させながら息を乱した彼は、不意に小さな子どもからぼやかれた悪口で額に血管をぴきりと浮かせている。相変わらず大人気なくて笑ってしまった。 「ほ、本物ダイナマイト!」 「か、かっこいい〜……!」 「ったく、どこほっつき歩いてんのかと思えば生意気なガキンチョと遊んでやがったってか」 「いや、てか君! インターンはどうしたの、緊急要請だったんだろ?」 「ンなもんとっくに処理しとる」 「でも事後処理とか……」 「それも全部。ンで、さすがにテメェも家帰ってかなと思って顔出したらまだ帰ってねえって引子さん言うし。なんかあったンかと思って探してた」 「あっ……ご、ごめん!」  チッ、といつもの調子で吐き捨てられた舌打ちは決して冷たさはなくて、寧ろほっとしたように大きな溜息を吐くものだから堪らず彼の手を取ると、なんと両方の手のひらがしっとりと汗ばんでいる。 「ばっ、勝手に触んな!」 「いや、違くて、そのっ」 「……クソ、ダッセェだろ……」 「もしかして、心配した?」 「ン、なワケ…………ある」 「えっ」 「またメンドクセーことに巻き込まれてんじゃねえかって、正直、焦った」  余程全力で街中を走っていたのか、手だけではなく首元や額にも汗が浮かんでいることに気付いた。そしてかっちゃんはなんと、ばつが悪そうな顔で上着のジャケットを脱ぎ、無言で僕に羽織らせたものだからつい、驚いてごくりと息を呑んでしまった。 「カッ、かかか、かっ、ちゃ」  何度も嗅いだことのある彼特有の汗の匂いがぶわりと広がって、でも不快感はない。それどころか、彼の優しさとぬくもりに包まれて次第に視界がふにゃりと歪んでいった。 「は? おま、何で」 「ダイナマイトがデク泣かした〜、先生に言ってやろ」 「うっせーぞ、クソガキ! さっさとママんとこ帰れ!」 「きゃー! たーくん、早くかえろ〜」  揶揄われて目が吊り上がっているかっちゃんを前にしても、僕の瞳から溢れる涙は止まることを知らない。自分でも不思議で、でも決して悲しいわけではなかった。 「……お、い。出久、てめ、この……いい加減、それどうにかしろや」 「ごめん、ごめんねっ。僕、嬉しくて。今日はもう会えないんだって勝手にしょぼくれてて、でもかっちゃんは諦めずにこうして、会いに来てくれて、僕、本当に……」 「あークソ、わーった。わーったから……ほれ」  ずびずびと鼻をすすりながらどうにか言葉にした伝えると、頬を赤く染めたかっちゃんが僕に左手を差し出していた。 「…………罰金?」 「ちっげェわ! 手! テメェも出せ!」 「お手をしろってこと?」 「この鈍クソアホナード!」  本気でその意図が分からなかった僕の右手を奪い取るように掴んだかっちゃんは、その手のひらを握ったまま公園の外へ出て駅への街路を辿り始めた。どういうこと、と問う前に顔を見せず僕を引きずるように前を歩くかっちゃんは、視線を変えないまま一言、小さな声で恋人だろうが、と呟いた。僕は、その一瞬でようやく理解に及び、危うく自発的に顔を爆破してしまいそうになった。熱がこもってしこたま熱い。まるで、真夏の太陽を間近に浴びているような気分だった。 「……今日の詫び。あと、家まで送る」 「こ、このまま?」 「嫌なンかよ」 「ううん、嬉しい。すごく」  恋人らしいことをしたい。そんな思いは、常日頃からあった。でも僕とかっちゃんは幼馴染で、他の誰よりも付き合いが長く、例え恋人同士に関係性が変わったとしても、普段のやり取りやスキンシップを今更変えることはとても難しかったし、何より照れ臭くて堪らなかった。特にかっちゃんはそういったものに抵抗があると思っていたから、こうして自ら手を握ってくれるだなんて思いもしていなかったのだ。しかも、俗に言う恋人繋ぎである。 「幸せすぎて、死んじゃいそう」 「手繋ぎくらいで命捨ててンじゃねえ」 「だって、なんだか夢みたいだから」 「そのちんけな夢、全部俺が先に叶えたるから覚悟しとけよ」 「うひゃあ、僕、心臓持つかな」 「自信がねえなら鍛えとけ。筋トレサボんじゃねえぞ」  それ、筋トレすれば耐性付くものなの。なんて聞き返せるはずもなく、次第に引いてきた汗に気付かないまま、僕達は静かな夜の街の中で肩を揺らしながら笑っていた。

(2026.06.15)

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