何故か付き合っていない話

「出久」  今日も優しい声だなと思った。かっちゃんの右腕が動かなくなったあの日から数ヶ月が経ち、もうすぐ僕達も三年に進級する手前になる今でも目の前の席から溢れるその柔らかな呼び声には慣れていない。  昔に戻ったとか、元気がないだとかそういうわけではなくて、十年以上側で過ごしてきた中でも初めて聞くようなその声色は、かっちゃん自身もどこか迷いながら何かを試して話しているような節もあって、僕も嫌ではなかったし寧ろ今までにはなかった穏やかな時間を過ごせていることがとても嬉しくてそのまま甘んじて今のかっちゃんを受け入れていた。  不思議なことは他にもあった。僕がまだ退院したばかりで頭の一部を刈り上げていた頃、移動教室の時や食堂でお昼を食べる時、放課後図書室で勉学に励む時やお手洗いに行く時でさえ僕が席を立つと有無を言わさず一緒について来ることがあった。初めは僕の体を心配しての行動なのかと思っていたので、僕よりも余程傷だらけの君が無理をすることはないと話したこともあったけれど、どうやら理由はそれだけではなく、彼曰く俺がそうしたいからしとる、と言われてしまい、そしてそれは今でも継続中である。 「飯、行くぞ」 「今日は飯田くんたちも声かけてくれたんだけど、一緒でもいいかな?」 「ン」  基本的にかっちゃんは僕しか誘わない。でも、お互いに自分以外の他の誰かと行動することに関しては制限を掛けるようなことはせず、このまま大多数の一人となることもあればこれまでのように切島くんたちと合流する日もある。だから、固執しているわけではないけれど、普段よく遊ぶ友達くらいの立ち位置まで戻って来られたような気がして彼の優しさに僕は甘えていた。  それでも、何故だが妙な違和感を覚える日もある。一番に不思議で仕方ないのは、かっちゃんが唐突もなく僕に触れてくることだった。恐らく、タイミングに意図はなく所構わずといった感じで視界に入れた途端、急に手や腕、頬に触れたり指でつついたりする。勿論痛みはない。それどころか、まるで壊れ物を扱うように無言で優しく触れてくるのでどう反応したらいいのか決めかねていた。 「どうしよう……やっぱり、カツ丼にしようかな」 「いつも通りじゃねえか」 「かっちゃんはどうするの?」 「激辛麻婆丼」 「あはは、君も人のこと言えないっ」  ウッセ、と小言を言いつつ僕の手を握ったまま教室を出て、廊下で待っていた飯田くんたちと合流する。腕に負担を掛けないように羽織るだけのブレザーが上手いこと手元を隠してくれて、廊下ですれ違う人々からは僕らの不思議な距離感は知られていない。でも、A組のみんなは本人たちでさえ言葉で表現しきれない僕達の関係をなんとなく察してくれていて、その上で僕はかっちゃんの意思を尊重してあげたかったから、否、僕も彼とこうすることが好きだったし、単純に彼の考えていることを知りたくて、周りの優しさで形成されていたこの繋がりを僕はずっと大事にしたいと思った。 *** 「緑谷先輩」  高三の夏、従来他学年との交流が少ないヒーロー科が後輩たちと合同実戦訓練を行ったのは校長の意向によるものだった。特に今の三年は多大な被害を被った全面戦争、ヴィラン連合や死柄木、AFOとの対峙、後に大戦と呼ばれる己の正義をぶつけ合った戦いで得た経験を後輩たちに伝えていくため、出来る限りヒーローという職業の厳しさと現実、その上での必要な戦闘能力とそのノウハウを学ばせるのが目的であるらしい。  そんな中、合同実戦訓練に参加していた二年生の女子が脇の方で見学をしながらノートを取っていた僕に声を掛けてきたことがあった。多分、個性の扱い方に関する相談だろうなと思った。案の定そうだった。こういった声の掛けられ方は初めてではなかったので、特に驚くこともない。 「へえ、有機物を引き寄せたり逆に遠くへ飛ばしたりできるんだね。僕のお母さんの個性と少し似てるなあ」 「えっ、そうなんですか」 「一般の人だから君ほど繊細な動かし方は出来ないけど、活かし方は僕でもアドバイス出来ると思う。でも、僕も君と同じ学生で素人には変わりないからあまり期待しないでね」  よく考えたら、柳さんのポルターガイストに近い個性のようにも感じる。しかし、確か彼女の個性は人間一人分の重量しか操れなかったはずで、目の前にいる後輩の個性はそれよりももっと重い物を容易く操り尚且つ複数の物体を意図した動きで飛ばすことが出来るため、活かし方によってはとても強力な個性と言える。本当にすごい。しかし、話を聞いているうちにうっかり興奮してしまい、ここまで走り書きでヒーローノートに書き記してしまったものだから粗さが目立ってしまった。家に帰ったら改めて綺麗に纏め直そうと思う。  といった感じで僕はよく後輩から個性相談を受けることが多い。僕としては貴重な合同実戦訓練に参加しているクラスメイトの様子を事細かに見学したいところだが、まだ見ぬ後輩たちの珍しい個性を知るチャンスを逃したくない気持ちもある。でも勿論、僕の力を信用して悩みを打ち明けてくれているのであれば力になりたいと思うのも本心だった。 「じゃ、そろそろ僕はこれで……」 「あ、あの! 緑谷先輩、良かったら今度ゆっくり話を……」  ここまではいつも同じ、そしてここからも同じで、何故かいつも幼馴染の彼が鬼のような物凄い形相で僕達の間に割って入るまであと五秒。 「こンの、クソ出久ァァァアアッ!!」  ほら来た。まだ右手での個性使用許可が降りていないにも関わらず、左手の爆破だけで凄まじいスピードを出しながら体全体を使い地を揺らすほどの力強い着地が僕の目の前の地面を陥没させている。その余波でびりびりと痺れる振動には最近慣れ始め、初めは情けなくも尻餅をついていたが今では平然と立っていられるようになった。 「何回言えば分かんだ、この人誑しカス! モブにかまけて俺のページがスッカスカになっとった時には容赦しねえからなァ!」 「大丈夫だよ、君のリハビリノートはそろそろ二十冊目に入るところだし。勿論、ヒーローノートの大・爆・殺・神ダイナマイトページは今日の分も追加で書いておいたからね」 「ならいい」  怒り方は昔から変わっていないので戸惑うことはない。しかし、妙に素直になったせいか感情の切り替えが唐突過ぎて見慣れていない後輩たちには刺激が強すぎるのか、大抵はこの乱入で僕達からそっと距離を置いたり、かっちゃんの罵詈雑言に恐怖を抱き逃げてしまうこともあるので内心申し訳ないなと思うけれど、そんな気持ちとは裏腹に訓練中にも関わらず彼が僕に気を留めてくれているという事実が嬉しくてつい、そのせいで毎度先生たちに怒られてしまうかっちゃんを横目にによによと口角が上がってしまう辺り僕も同罪だなあと苦笑してしまう。  しかし、驚くことに今日の彼女は今まで僕が出会ってきた後輩の中で一番肝が据わっていた。 「ば、爆豪先輩っ」 「あンだよ!」 「そうやって、先輩ばっかり緑谷先輩を独り占めするの良くないと思います! みんな言ってますよ、お話してる最中に恋人でもないのにすぐみみっちく茶々入れてくるって!」 「誰がみみっちくて茶々入れ野郎だってェ!?」 「ば、爆豪先輩の話も聞けるのはありがたいですけど、過度に遮られるのはちょっと違うと思うんです!」  す、すごいこの子。あのかっちゃんに物怖じせずちゃんと意見をしている。側で心配そうに様子を窺っていた切島くんや瀬呂くんも度肝を抜かれた表情を浮かべていた。気持ちはすごく分かる。一方、稀に見ないタイプの対抗心を全身に浴びたかっちゃんはというと、意外にもそれ以上に声を荒らげるようなことはせず、下唇を指先で摘みながら数秒一考していた。そして何かを閃いたのか、突然僕の肩を組み体を引き寄せると、何度注意しても直らない中指を立てる行為を見せ付けながらにやりと嫌らしい笑みを浮かべてフッと鼻で笑っている。 「そんじゃあ、コイビト同士なら茶々入れても別に問題ねーってことだよなァ?」 「は、え……ちょ、待……かっ、ちゃ……んううっ!?」  僕にとって、かっちゃんは恋人ではない。でもかっちゃんが並々ならぬ思いで僕の隣にいてくれていることくらいは理解していた。だって、僕がトイレに行くだけでも連れションするわけでもないのにほぼ百パーセントの確率で付いてくるんだぞ、気付かない方がおかしい。それだけではないけれど、もう消えてしまった残り火のことやその影響で体に支障をきたした時も常に付き添い手を離さなかったのもかっちゃんだった。以前のような、僕に限らず人に対するあたりが強かった彼とはあまりにギャップが激しいせいで、僕と特に仲の良かった轟くんや飯田くん、麗日さんが受けた衝撃は言葉を失うほど並々ならぬものだったという。  そして、子供の頃から彼の眩しさに憧れていた僕は、もう二度と向けられることはないだろうと覚悟していたかっちゃんの好意を無下に出来るはずがなく。 「……ほれ、さっさと去ねや。じゃねえと俺はこいつを不貞行為で説教しなきゃなんねェんだわ」 「は、はえ……なん、何……」 「か、かっちゃん……」 「ま、お勉強にはなったろ。ついでに他のヤツらにも言っとけ。つけ入る隙なんてねえってな」  かわいそう、この一言に尽きる。僕がほぼ不同意の形で唇を奪われたことに関しては最早問題ではない。避けようと思えば力ずくでもねじ伏せて止めることは出来たので、それをしなかった僕はある意味同意したとも言える。しかし、そんなことよりも今大切なのは、彼女が目の前で男同士の、しかも幼馴染で、ありがたくも憧憬を抱いていた相手が恋人ですと言わんばかりにキスなんかしちゃったもんだからもう心ここにあらず状態になっていて本当に居た堪れない。 「さすがに、これは……」 「嫌だったか」 「ううん」 「なら別にいいだろ。つーか、時間。出久、教室戻んぞ」 「あ、う、うん……」  何度も言うけれど僕達は付き合っていないし恋人ではない。周りを騒然とさせたまま、かっちゃんに腕を引かれ終鈴が鳴り響く体育館γを後にした僕達は、教室へと戻ってきたクラスメイトに問い詰められるも、幼馴染以上の関係から特に進展はないと答えたけれど当然ながら全く信じてもらえなかった。結局、卒業までずっと周囲から二人は付き合っているという認識をされる羽目になったけれど、僕もかっちゃんも特に不自由を感じることなく、それぞれの目標に向かって勉学に励みながら、ただひたすら今まで以上に同じ時間を共有することが出来る喜びに浸っていた。

(2026.05.31)

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