堪忍袋の緒が切れた話

 バクゴーヒーロー事務所の朝は早い。勿論夜勤対応でパトロールも行っているので実質閉まっていない時間はないのだけれど、事務員である自分が出勤するのも一般的な企業に務めている方より遥かに早い時間に仕事を始めている。まず朝一番に所長が担当していた裏で麻薬を取引していると噂が出ているヴィラン集団の調査結果を報告するため、所属サイドキックから提出された取引現場の時間、場所、その様子を撮した写真、現れたヴィランの詳細情報と主な取引相手、そして交渉に使用された麻薬の種類等々のデータを隅々までチェックをした結果、非常にまずいものが姿形として現れてしまい、報告書としてまとめている今も正直生きた心地がしない。 「これ、やばいッスよね」  夜通しで調査をしてくれた所属サイドキックもどうやらお察しのようで、このあとこの報告書を見てキレた所長が怒号を響かせるであろうことは容易く想像が出来る。 「まさかすぎて……いや、ある意味では良かったんだけど、所長としては最悪というか……」 「マジで見せるんスか? 事務所吹っ飛んでもおかしくないッスよ?」 「何が吹っ飛んでもおかしくないって?」  ヒェ、と裏返った二つの声が重なって響く。深夜の長時間パトロールを物ともせず、疲れた顔一つない所長がいつの間にか背後に立ち尽くしていることは今回が初めてではないけれど、何度味わっても慣れないし普通に怖い。どうしたものかと必死に頭の中で考え、ぶつぶつと呟いているうちに手に持っていた資料を易易と奪われてしまった。まずい。 「しょ、所長! それまだ報告書が……」 「こいつが出した資料だろ、別に先目ェ通しといたって良い……アァ? ンだこれ……」  本当にまずい。だからといってバレてしまった以上何もすることは出来ないが、とりあえず所長の腕を掴んで奥のミーティングルームへと引きずり込む。普段であれば筋肉量が多く体重も重めの所長を引きずるなんて以ての外だったが、さすが火事場の馬鹿力、ヒーローでなくても出せるものだなあと窮地に陥っている今でもそんな楽観的なことを考えてしまう自分に苦笑した。 「あの! その、えと。せ、説明させて頂きますのでどうぞお掛けください」 「ンだよ、随分回りくどいことするじゃねえか」 「少しでも衝撃を抑えるために前置きが必要で」  訝しげに目を細める所長に気付かないふりをしながら、取り返した資料と未完成の報告書をデスクに並べた。打ち込んだ文章と並ぶ写真をまじまじと眺める所長を前に、とりあえず無難な案件から話を始めていく。 「二週間前から調査を進めていた麻薬取引を行っているヴィランに関しまして、サイドキックより情報提供がありましたので順にご説明いたします」 「御託はいいからはよ本題」 「ええと……管轄外のヒーロー事務所から話があった通り、取引する度に新たな暗号を使用して別所を指定し取引を続けているそうです。面子は同じですが、ブツを提供している相手は変えているようで、どうにか足がつかないように姿を眩ませている状況です。そのため、ヒーロー同士で情報を共有し行動パターンの把握、予測地点を絞り一網打尽のチームアップを要請予定です。ここまでで何かご質問はございますか?」  ふむ、と親指と人差し指で下唇を摘みながら何かを考えている所長はじっくりと報告書を見つめている。実は資料の中にはまだ開示していない情報が書かれた書類が一枚存在し、どのタイミングで見せるべきか見極めている最中である。勿論隠蔽をするつもりはないが、その最後の一枚があまりにも所長にとって最悪極まりない事実が書かれているため、ぶっちゃけ出すにも出せないというのが本音です。 「で、結局こいつらは何の取引をしとンだ」 「えと、ですから……麻薬の……」 「お前は報告書にそう書いとるみてェだが、資料の方にはそれらしいことは一つも書いてねえぞ。あとこれ、最後のページ抜けてんな。どういうことか説明しろ」  はい、終わりです。もうだめです、諦めます。 「いや、あの……追って説明をしつつ出すつもりだったんです。はい、出します、出しますからバチバチしないでください」  ここまで慎重に取り扱ってきたのはあなたのためです、と心の中で復唱し、恐る恐るクリアファイルの中に残っていた資料をそっとデスクの上に滑らせる。その内容は、写真によるデータが数枚、その説明となる文章がつらつらと書き記されている。特に前者の写真は取引真っ只中の映像を偶然監視カメラが捉えていたものの静止画、画質は荒いが誰がどう見ても薬の取引ではないことが分かる写真で、いやもうここまで来たら薬か薬じゃないかなど問題ではない。写っているブツが一体何であるのかが最重要なのである。 「おい、これ……」 「だから見せたくなかったんですよ、私もさっきの彼も」 「いや、そらアイツだってヒーローだからグッズの一つや二つは出とる。ただでさえ人気があるからネット上でトレード依頼なんかも溢れてンのは俺だって知っとる。俺の記憶違いじゃなければ、これはどうみても非正規だよな?」 「所長、すっごい早口」 「……ちなみにお前はこれが何に見える?」 「そうですね……確証はありませんが、デク本人を盗撮したプライベート写真ではないかと思います。プライバシーガン無視な辺り、家もバレてそうですね」  意外にも冷静さを失わず淡々と話す所長に少し安心しつつもまだ油断してはならない。何故なら、取引材料がデクの盗撮写真だったと判明した以上、この事件を力ずくでも解決するであろうことは目に見えているし、実際今、右手な拳がわなわなと震え始めたし、顔はまだ目がつり上がっていないものの目そのものに怒りを感じて逆に怖い。声のトーンなんかもう、あなたそんな低音で喋れるんだと驚くくらい全ての文字に濁音が付いているし、何を言っているか分からない声の大きさでブツブツと何か恨み節みたいなものを呟いている。ヤバイ。ないとは思うけれど、ヴィランたちの命を奪いかねないくらい静かにキレている。 「これは……半裸だから風呂上がりだな、こっちはスーツ着てっから朝の出勤時か。ふーーん、ンなもんが裏で出回ってるなんてなあ。恋人の俺でさえ把握しとらンかったわ」 「チームアップ……しようと思うんですけど……」 「他の事務所のやつらにも伝えとけ、発見次第うちに報告しろってな。したら即座に情報回せ。潰すのは俺一人でいい」 「あわわわ……」 「ここまで叩きのめし甲斐のある相手は久しぶりだわ……最近平和ボケで体も鈍ってっし、いい運動になりそうだなァ……」 「生け捕りでお願いしますね」  両手の指をバキバキと鳴らしながらミーティングルームを出た所長は、心当たりがあるのかそれ以上何も言わずに再び外へとパトロールへ出掛けていった。そして指示のあった通りに連絡を回し事務所で待機していると、ふとテレビで流れてきたニュース番組に先程会話をしたばかりの所長が生放送の映像に映っている。画面下には違法取引を行っていたヴィラン複数名をものの五分で確保、といったテロップが書かれていて腹の底から笑ってしまった。早すぎるだろう、いくら何でも。事務所から出ていって一時間も経過していないのに。 『この写真、元データどこやった……根こそぎ抹消し殺してやっから白状しろや!』 『ぐだぐだしてんじゃねェ、早くしねえと写真より先にテメェを消し炭にすンぞ!』 『おいクソデク、テメーもこんなクソザコに撮られてんじゃねーよバーカ! 少しは警戒しろや! オールマイトのことばっか考えてボケッと歩いてんじゃねえ!』  言い放題である。でもやっぱり、所長なりにデクのこと心配してるんだなあと思うとなんだかかわいく見えたので、まあいいかと気を取り直して途中だった報告書の作成に取り組むことにした。 「このあと誰が一番にキレられっか賭けしません?」 「デク一択」 「それじゃあ賭けになんねえッスよ!」

(2026.05.09)

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