これから始まる話

 黒が晴れた。暗雲に包まれていた空が一瞬で青に染まり、皆がその光に目を奪われていた。天を突き上げ弾ける輝きの中に浮かぶ緑谷出久があまりに眩しく、その姿はいつの日か初めて平和の象徴の姿を目の当たりにした瞬間に受けた衝撃のような、しかしそれとはまた違う美しくも儚い、そんな感じたことのない熱さが胸の鼓動をどくりと震わせる。 「出久……」  原型を留めていない右腕を庇いながら屈み、空を見上げる爆豪が虚ろな表情を浮かべて幼馴染の名前を呼んだ。まるで、彼の中だけで時間が止まっているかのような、緩やかな時間が流れているように見える。  そう思った瞬間、地を蹴り突然走り出した彼に気付き、数秒遅れて重い体を引き摺りながら必死に追いかけた。そんな俺達の慌てようを見て気付いた周りの友人やプロヒーローたちの悲鳴が彼方此方から聞こえる。なにせ、あれほど自由に宙を舞いオールフォーワンの中枢へと飛び込んでいった緑谷が、まるで全ての力を使い果たしたかのようにそのぼろぼろの体が突然空から降下させ始めたのだから。あの高さの落下から地面へ激突なんてしてしまえば怪我だけでは済まされない。しかし、声を掛けても反応がない限り意識もなく、このまま頭から落ちて命を落としてもおかしくはなかった。 「爆豪ッ!!」 「うっせ……わかっとるわ、クソが!!」  左手から振り絞るように爆破を繰り返して前へ飛ぶ爆豪を最前に、届くはずのない精一杯伸ばした右手を飯田が掴んでくれて、お前だってもう足どうにかなってんだろと文句を言いながら首を横に振る。それでも、大丈夫だと握り一緒に駆けてくれる彼に思わず涙が溢れそうになった。背後では瀬呂と砂藤が唸りを上げ、ぽてぽてと覚束ない足取りで泣いている峰田が声を震わせながら緑谷を呼んでいた。みんな一緒だった、喜びやら心配やらがぐちゃぐちゃに混ざりあった気持ちも、つい一歩を踏み出してしまうくらいに彼への思いも、みんな全て。  図らずともA組の面々が緑谷の元へ集まり、どうにかその体を受け止めた爆豪の胸の中で眠る緑谷は、あれほどの厳しい戦いを繰り広げていたとは思えないほど優しくあどけない表情を浮かべている。爆豪こそ生きていることが不思議な状態なくせして、まるで痛みを忘れたかのように抱き締めた片腕の力が緩むことはなかった。 「出久、起きろ。寝てんじゃねえ、ボケカス、このっ、勝って死ぬとか、ダッセェンだよクソ」 「ヘリが来た。爆豪、早く乗れ」 「おい!! 死んだら殺すぞ!!」 「あの二人を先に頼む。轟、お前も行けるか」 「はい」  お前だってボロボロだろ、無理してんじゃねえのか。そう思ってもすぐには咎められない程、こんなにも切羽の詰まった爆豪を見るのは初めてかも知れなかった。それでもこの一分一秒が今後を争う可能性もある、同じ考えで既に行動を始めていた相澤先生に背を押されながら、緑谷を抱き上げる爆豪の肩を無理矢理押して急いで救急ヘリへと乗り込んだ。 「他のみんなは、」 「心配するな、こっちはなんとかなる。お前も辛いだろうが、二人を見てやっててくれ」  静かに頷いて、閉められたドアの窓越しに見えるA組のみんなが、みんなだって満身創痍のくせに笑顔を浮かべながら手を降っているのが見えた。聞こえるはずがないのに、わりぃと小さく呟いて、そんな彼らが小さくなって見えなくなったあと、いつの間にか二人並んで搬送用ベッドに寝かされていることに気付いて慌てて側に駆け寄る。変わらず目を覚まさない緑谷から目を離せない爆豪の右腕は見れば見るほど原型を留めておらず、非ぬ方向へと曲がった腕や指先を見るたびに胸の奥が沈むように痛んだ。辛うじて動く左手が、緑谷の手のひらを掴んで離さない。息はある。まるで眠っているかのように意識が戻らない緑谷を見下ろして、ただひたすらに祈ることしか出来ない自分が情けなくて柄にもなく泣きそうになった。 「爆豪、大丈夫だ。みんな生きてる」 「うっせ、テメェも早よ、大人しく寝とけや……」 「俺はお前らをちゃんと見届けるまで寝るわけにはいかねぇ」 「せんせーの言ったこと真に受けてんじゃねえよ、真面目か」 「ああ、真面目に言ってるよ。本気って書いてまじめだ」 「……ハッ、知りもしねえクセしてガチの語源引っ張ってきてんな、バーカ。そんなんだからいつまで経っても、ぼんやり野郎なんだ、よ……アホ」 「はは。そう、だな」  こんな状況なのに、まるで教室で話しているような会話に笑ってしまって、でも何故だが目頭が熱くなったまま、心配してくれたフライトドクターに肩を押されて空いていた座席に腰を下ろした。静かな寝息が聞こえる。爆豪の呼吸、エッジショットがかろうじて紡いでくれたという心臓が今も正しく動いて彼の胸を規則的に上下させている。それだけでざわついた気持ちが落ち着いていくのが分かった。  それから数分後、セントラル病院まであと十分程で到着すると分かった頃に緑谷の手がぴくりと動いたことに気付いた。 「緑谷っ」 「……どろき、く」 「いい、無理して喋るな」 「か、」  慌てて駆け寄り、小刻みに震えながら差し伸べられた左手をそっと優しく両腕で包み込む。とても温かかった、心が安らいでいくような気がした。まだ瞼が開ききらない緑谷の右手は未だに爆豪の左手に握られたままで、それで動かないのだとようやく気付いた緑谷がどこか嬉しそうな表情でにこりと微笑んだ。 「生きてる、大丈夫だ。みんなお前を見てた、緑谷の力になりたくて、背中を、押したくて」 「うん、うんっ」 「お前のおかげだ、緑谷」 「……みんなの声、聞こえたんだ。頑張れって。だから、動けたんだ、ありがとう轟くん」  涙を滲ませながら、隣りで眠る爆豪を見て握られた右手にぎゅっと力を込めた緑谷が、かっちゃん、と彼のあだ名で呼んだ。以前、どうしてその呼び方なのかという話になった時、幼い頃からずっとそう呼んでいるから、それ以外に理由はないと聞いたことがあった。でも、俺にはどうしてもそれだけには思えなくて、そのあだ名には長年呼び続けている中で少しずつ意味が込められてきたのではないかと思わせるほど、緑谷が爆豪を呼ぶ時の声は何か熱いものを感じていた。そして、今も。 「かっちゃん」  外を見ると、すぐ目の前にセントラル病院が見えてきて、ヘリポートで待機していた医師たちが今が今かと待ち構えている姿が見えた。 (これからだ、全て、これから始まるんだ)  戦いの決着はついた、しかしこれは終わりじゃない。俺達の進む道はまだ先へと続いていて、受け止めるべき現実も失ったものを取り戻すための復興も、ヒーローとヴィランという存在に対する意味、この世界の在り方を生きる人々全員が考えていかなければならない。 (もう二度と……同じことを、繰り返さないためにも)  後ろは振り返らない。過去は変えられなくても、未来はみんなの手で変えられることを知っているから。

(2026.04.12)

home