やっぱり肉まんだった話

 ヒーロー免許を所持していればすぐに教師になれると初めに話を勧めてくれたのは相澤先生だった。ワンフォーオールを手放して無個性へと戻った僕を気に掛けてくれていることは以前から知っていたけれど、高校を卒業したばかりの自分にいきなり教師が務まるなど思っていなかったし、何よりこれからヒーロー活動が本格化する友人たちに置いていかれないためにも、しっかりとした知識と経験を積むためにどうしても教育関係の大学には通いたい気持ちが強く、卒業後にすぐ雄英高校へと勤める案に賛成していたオールマイトや根津校長には申し訳ないと思いつつも自分の歩みたい道は自分で決めることにした。  きっと色々な意味で心配されていたのだろうと思う。無個性に戻った体も、未だその事実を受け止めきれていない心も、心のどこかで諦めきれない夢がまだ存在していることも。そして、幼馴染の隣りに、堂々と立つことが出来なくなってしまった寂しさも、全てがごちゃまぜになって僕の胸の奥で今も静かに渦巻いては底へ沈んでいる。  高校三年の冬、ほとんどが卒業後の所属事務所先が決まっている中、ヒーロー科でただひとり僕だけが受験生として勉学に励み、受験先の候補として様々な大学について調べたり普通科の卒業生である先輩の話を聞いたり、その上で実際に大学へと赴いて見学のためオープンキャンパスに参加したこともあった。まだ記憶にも新しい死柄木との戦闘で顔が割れているため、出来るだけこっそり目立たず参加してみたものの、やはり分かる人には分かるようで、というよりは僕の変装がどうやら下手過ぎたらしく、参加して三十分もしないうちに人という人に囲まれてしまったものだから、別の日に再度参加を申し込んだ時は大学の学長が気を利かせてくれて単独での見学を許可してくれてとてもありがたかった。  そういった活動を行っていくうちに、教育学科に関しての興味も以前より強くなり、やはり土台となる基礎知識は今後の未来を担うヒーローを育てるために必ず必要になると確信したし、何よりどんな学科に対しても新しく学ぶことが僕は好きだった。違うジャンルでも無数に吸収することで知らぬ間にこれまで培ったものと交わりそこからまた新しい考えが生まれることがあることも僕は知っていた。つまり、どんなに無関係な知識であってもいつしか役に立つ時がくる。勉学に何一つ無駄などない、どんなものでも身に付けていけば教師として教壇に立つようになってからもそれを実感出来る日がきっと来る。 (大丈夫……やれることは全部やってきた。A判定も保ててる、あとは自分を信じるだけだ)  放課後の眩しい夕日が差す教室にはもう誰一人残っておらず、自身の机の上に散らばった文房具と参考書を適当にまとめてリュックの中へ突っ込む。志望した大学の共通テストまで数日、最後まで油断せず勉学に励みつつ、あとはうっかり受験票を無くさないようにすればいい。 「大丈夫、大丈夫。何も、間違ってない。なりたい自分に、きっとなれる」  なりたい自分。そう呟いて、力が抜けた体を自席の椅子に腰掛けた。  子供の頃からずっと、ヒーローになるのが夢だった。無個性である自分にとって不相応な夢、周りの人間には否定をされ続け、いつしか自分自身でさえも叶わぬ夢なのだと諦めかけていた夢。それでも憧れの人に背中を押され、挑戦することに意味があると嫌でも理解させられたこの三年間は人生で一番濃い時間だった。ヒーローになって、救いたいもののために力を解き放ち、そして再び無個性に戻った僕は今の僕にもなれるヒーローを目指して前へ進んでいる。全てを受け入れたつもりだった。これが運命であったのだと目を逸らしたくて仕方なくて、ふとオールマイトに出会う前の自分を思い出してはその姿と今を重ねたこともある。  覚悟を決めても諦めきれないものが確かにあって、それを認めてしまったら歩む足が止まってしまいそうで怖かった。頭の中で一人、ぐるぐると考えれば考えるほど堂々巡りの靄ついた気持ちに整理がつかず、一人でいると涙が溢れる日もあった。誰かに聞いてほしい、でも理解されないかも知れない怖さに怯え、話した所で変わらない現状と自身の弱さが露呈してそんな自分を想像しただけでも情けなかった。  もう決めたじゃないか、教師になるんだって。かっちゃんやクラスの皆も応援してくれている。それがどれだけ恵まれたものなのか、お前が一番理解しているはずだ。何度も何度も自身に言い聞かせて、その度に声を殺して泣いていた。 「……もう、帰らなきゃ」  未練がましいな、と思う。分かっていたことだ、ワンフォーオールは巨悪を討ち倒すための受け継がれてきた強大な力なのだと。それを完遂したという事実は喜ばしいことで、無個性の人間に夢を見させてくれた素晴らしい個性だった。納得していた。それは間違いなかった。それなのに、いつの日か幼馴染の隣りで空を泳ぎ光を仰ぎながら競い合った記憶が目に焼き付いて離れなくて、もう二度と彼と同じ景色を見ることはないのだと理解させられるたびに胸の奥が苦しくて堪らなくなる。  少し汚れが目立つようになった黄色のリュックを背負い、昇降口までの廊下を一人歩いていると、向かいに立っていた明らかに帰り支度をした相澤先生と目が合った。軽く会釈をして、足を止める。 「なんだ、まだいたのか」 「図書室で勉強をしてて……先生も、今お帰りですか?」 「ああ。週末だし、たまにはさっさと寮に帰って休もうと思ってな。お前も大事な時期だ、無理はするなよ」 「はい。色々ありがとうございます。体調とか、気を付けます」 「……そういや、門にもう一人いたな。早く行ってやれ、恐らくお前待ちだ」  それじゃ、と話の意味を分かっていない僕の返事を待たずに相澤先生はさっさと姿を消してしまったけれど、どうやら誰かが僕の帰りを待っているらしいので足早に校門へと向かった。待っているのなら放課後すぐに言ってくれたら良かったのにな、と申し訳ないと思いつつもその理不尽さに誰が待ってくれているのかは薄々想像がついていた。でもまさか、あのせっかちそうな彼が長い時間待っていてくれるなんて想像もしていなかったから、もしかしたらやっぱり別人なのかもと一瞬思ったけれど、やはり予想を裏切るはずはなく僕の頭の中に浮かんでいたその人は不機嫌そうに通学バックを肩に掛けながら、慌てて小走りで向かう僕にしっかりと遠くからでも分かるくらいにぎろりと睨みを利かせていた。 *** 「遅え、下校時刻はとっくに過ぎてんぞ」 「きょ、今日、帰る約束っ、して、たっけ、はあ、はあ」 「この程度で息切れたぁ、鍛え方が足りてねえな」 「べ、勉学に勤しんでおりましてっ、反省はしてます」  僕の記憶が正しければ、今日かっちゃんは心臓の定期検診で放課後からセントラル病院で受診をしているはずだった。てっきりそのまま自宅へ帰るのだろうと思っていたし、かっちゃんも学校に戻ってくるなんて一言も言っていなかったからさすがに驚いた。驚いたけれど、よくよく考えれば自身の予定をいちいち他人に話すような人ではないのでまあこういうことがあっても不思議とは思わないのが不思議だ。 「激しい運動はまだ出来ねえけど」 「え?」 「このままリハビリ続けて無茶しなけりゃもう個性は好きにしていいって言われた。腕と心臓の定期も年一くらいで見せてくれりゃいいってよ」 「そっか……良かった、良かったね。本当に」  最寄り駅までの帰り道、一年前よりも随分とスムーズに動かせるようになった右手を見下ろして自然と笑みが浮かぶ。かつては義手を勧められていたにも関わらず、どんなリハビリにも耐えてみせると、今の今まで努力を積み重ねてきた彼は今まさに有言実行を現実にしようとしていた。伊達に勝利の権化と言われ続けてきただけはある。そんな彼だからこそ、僕は憧れ追い掛け続けてきたのだけれど。 「それを僕に伝えるためにわざわざ学校まで戻ってきてくれたの?」 「別にお前のためとかじゃねー。先生に報告がてら、たまたま帰りが被ったってだけ」 「ああ、そうか。だからさっき……」 「……でも、まあ。伝えなきゃって思ったのは、マジ」 「かっちゃん?」  足が止まる。三歩ほど、後ろで立ち尽くすかっちゃんは無表情のまま足元を見下ろして動かなくなった。 「話聞いてすぐ、出久に言わなきゃって思った」 「どうして?」 「……なりてえモンになる、それは今も昔も変わらねえ。俺だけ止まってられねえし、必死こいて前に進んでるお前に置いてかれるつもりはねえこと、直接言いたかったから」  ゆっくりと顔を上げ、僕を真っ直ぐに見据える彼を前に、どうして君が僕の後ろにいるの、と聞きそうになってやっぱりやめた。肩を並べた僕達がいつしか別々の道を歩むようになって、道を外したのは僕の方にも関わらず今だって競い合おうとする君の言葉が胸に刺さって息が苦しくなる。同じ舞台にさえ立てなくなった僕の手を振り払うことなく、今でも掴んで離そうとしない彼の意志が、鉛のように重くなった僕の足を少しずつ動かしていくようだった。 「かっちゃん」  彼にとって、僕は道端に落ちている石ころのような存在だった。置いていかれることなんて日常茶飯事だったし、今に始まったことでもない。それでも必死に食いついて、ふっ飛ばされても、殴られても、怒鳴られても、蹴り落とされても、絶対に諦めずに這いつくばってでも追い掛けて、やっと君の隣に立てるんだと思っていたのに。 「っ、かっちゃん、僕……」 「……出久」 「僕、ずっと、かっちゃんのこと、見てるから」  精一杯の贈る言葉は、腕を引かれてどこかに消えた。もう目の前だった駅を通り越して、細い路地裏に続く道を抜けて小さなコンビニの前で足を止める。待ってろ、と言われたので車止めに腰掛けながら大人しくしていると、数分後には小さなビニール袋を提げたかっちゃんが帰ってきて、ン、と手に取った温かいそれを一つ押し付けられた。 「食え」 「これ……」 「いいから」 「肉まん……いや、もしかしてあんまんかな」 「何でもいいからさっさと食えや!」  その肉まん(あんまんかも知れない)は僕の手に収まることなく口の中へと乱暴に突っ込まれ、その瞬間ふわりと広がった肉汁の香りがすっかり萎んでいた食欲を掻き立てていく。 「……美味しい」 「百円寄越せ」 「奢りじゃないの?」 「ンなわけねーだろ、消費税はまけてやっから早よ出せや」 「本当に奢りじゃないのか……」  乗る予定だった電車の時刻はいつの間にか過ぎていた。リュックの中から財布を取り出して小銭を一枚かっちゃんに手渡す。その百円を乱暴にズボンのポケットへと突っ込んだ彼は、もう一つの肉まんにかぶりつきながら苛立ちを隠せない様子のまま吐き捨てるように悪態をつき、そして何故か、寂しそうに目を細めながら、らしくない程の小さな声で僕を呼んだ。 「出久、」  ガタンゴトン、電車の走る音がする。かっちゃんの口の動きだけでも、僕は彼が何を言いたかったのか分かってしまって、それを彼もまた伝わっていると理解していて。でも、それでも僕は聞こえなかったふりをしたかった。気付いたら、何、と聞いていた。その反応を待っていたかのようにかっちゃんは、なんでもない、と答えていた。  駅まで戻った頃にはちょうど次の電車が五分後に到着するところで、自宅の方角が同じ僕達は当然同じホームで同じ電車を待っている。冬空の乾燥した空気と震えるような冷え込みがマフラーの中へ無意識に顔を埋めてしまう。寒さが苦手だと言っていたかっちゃんは、マフラーは巻いているけれど別に平気だと言わんばかりに手袋も付けずにスマートフォンを弄っている。 「受験日、来週だったよな」 「あ……うん。そう、学校推薦だから入試自体はもう合格もらってるんだけど、今度の共通テストが最後の勝負かな」 「テメェなら余裕だろ、ビビってんじゃねえ」 「そ、かな。ありがとう。でも、最後まで油断しないようにするよ。特に体調とかね」  時間帯のせいか、僕ら以外ホームに立っている人はいない。 「……かっちゃん、怒ってる?」 「主語」 「僕が、教師になりたいって言ったこと」 「別に、怒ってねえ」 「でも、僕らしくないって思ったりした?」 「……思ったっつったら、何か変わんのかよ」 「ううん。ごめん、試すようなこと言って」  遠くの方で高らかな警笛が聞こえる。 「俺は、」 「え?」 「出久に、ヒーローになって欲しかった」 「かっ、」 「一緒になりたかった。今でも、そう思っとる」  スマートフォンから外れた赤い視線が、僕の緑とぶつかって一瞬時が止まったように感じてごくりと息を呑む。きーんと頭に響く痺れるような音、気付かないうちに待っていた電車が目の前に止まり、ぷしゅうと扉が開いた。ボケッとしてんじゃねえ、と言われて手を引かれる。がらがらの車内で端の方に二人で腰を下ろして、握った手はそのままにかっちゃんは再び空いたもう片方の手でスマートフォンを弄り始めていた。僕はただただ、今さっきの告白を頭の中でぐるぐると巡らせては溢れそうになる涙を堪えることしか出来ないでいた。

(2026.04.06)

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