夜中の公園でぶちかます話

「緑谷はさ、何で爆豪の勧誘断っちったの?」  偶然、帰り道にばったり再会したのは母校の雄英高校で教師をしている緑谷出久だった。つい最近元A組の面々で集まったばかりだったが、緊急招集で禄にのんびり出来なかったこともあり、せっかくだからとチームアップをしてきた切島と三人で、当時の主役は不在だが近くの居酒屋で改めて乾杯しようということになり、全員明日は休みということもあって嗜む程度にアルコールを摂取していく。 「こないだはさあ、ゆっくり話できなかったじゃん?」 「だからってその話題選んじゃうんだ?」 「そらだって気になんだもん。なあ、切島!」 「まあなあ」  俺達がコツコツ出資して完成したアーマードスーツが無事緑谷の手に渡り、八年振りにかつての英雄が空に飛び立つ姿を拝めたあの日の感無量さといったら言葉に表せないくらい今思い出しても目頭が熱くなる程だけれど、教師は辞めないにしろてっきり爆豪か飯田辺りの事務所に所属するのかななんて想像していたから、会うたび勧誘をしてくる爆豪をこうもはっきりと断り続けるとは誰だって思ってはいなかったはずだ。 「ようやっとタイマン張れるヤツが帰ってきたって喜んでたんだぜえ?」 「あはは。かっちゃんはさ、僕を少し買い被り過ぎなんだよ。ただでさえ八年、九年はブランクがあるんだ。彼の期待には早々応えられないんじゃないかな」 「これだもんなあ。そのうち爆豪のやつ影で泣いちまうかも」  そんな訳ないよ、あのかっちゃんが。そう笑う緑谷の横で少し眉尻を下げる切島の心中は俺でさえ察することが出来た。  以前の飲み会の帰りに緑谷と一緒に爆豪の車に乗って帰った切島が、また爆豪フラレちまったぜと肩を落としていたところを見た時、柄にもなく心からがっくりと落ち込んだ。爆豪もその度に少し寂しそうな表情をするものだからどうにか元気付けてやりたかったけれど、結局それも緑谷が彼の隣に立って同じ速さで前へ踏み出さない限り心が晴れることはないのだろうと思うと何も出来なかった。それならば、爆豪ではなく緑谷に俺達から嗾ける他無い、発破をかけるくらいしか役目はないと瞬時に悟った。 「僕もね、ちゃんと考えたんだよ。せっかくのお誘いを無下にしたくはなかったし」 「へ? そうなの?」  なんてジョッキを一気飲みして気合を入れ直したその直後にそんなこと言うもんだから、思わず吹き出しそうになって慌てて飲み込んだ。入んないって言ってたじゃん。 「入んないって言ってたじゃん!」 「い、今は! 今は無理だよ、上鳴くんも知ってるでしょ。僕担任を持ってるんだ」  勿論それは知っている。緑谷が教師になりたての頃は副担任という形で研修も併せた補助的な指導を行っていたが、経験を積みここ数年はクラスの担任として生徒を纏めていると本人からも、そして今日は不在の爆豪からもその話はよく聞いていた。 「中途半端にしたくないんだ。勿論、アーマーのデータ収集は定期的に行ってるけど、やっぱり受け持ったからには最後まで僕の全てを注ぎたい。彼らが立派なヒーローになるためにも、そこは譲れないから」 「緑谷……」 「あのね、上鳴くん。僕、本当に嬉しかったんだ。かっちゃんやA組のみんな、他にもたくさんの人たちが時間と労力を掛けてあのアーマーを作ってくれたこと。そうまでして、僕を再びヒーローにしてくれたこと。嬉しくないわけなんかない、とっくの昔、僕自身でさえ諦めてしまってた夢を、みんなが叶えてくれて、っ、ぼく、ほんとにっ」  泣き上戸かよお、としか言えずに、それどころかつられて涙を浮かべるしかできないが無力で情けなかった。本当はずっと、アーマーを作るために資金提供をし続けていた間、緑谷は今でもヒーローに戻りたいと思っているのだろうかと疑問に思う日もあった。ヒーローに戻したいという気持ちは周りの人間の思いであり、緑谷自身の本心を確認したわけではない。事実、確認したところで緑谷の性格上アーマーの作成を認めるはずはないと思っていたし、結局のところ、俺達が緑谷にヒーローでいて欲しかったという願望が詰まっている上での計画だったのである意味では賭けだった。それはきっと、主体となって行動していた爆豪も同じ考えで、全てを承知の上で動いていたのだと思う。結果的に爆豪が過去に言っていた通り、緑谷は無個性に戻ってしまっても、雄英高校の教師になってもこの世の誰より目の前で救けを求める人を放っておけないヒーローのままなのだと、アーマードスーツを装着し、縦横無尽に街中を飛び回る懐かしい姿を眺めては理解させられる日々だった。 「ばっ、かだな、緑谷ぁ……! もうそういうのはいいって! ほら、今夜は飲むぞお!」 「ご、ごべんっ、ほんとに、ごめんねえっ……かっちゃ、に僕そろそろ、愛想尽かされちゃったかなぁっ。せっかく自分の特別が誰なのか分かって、ほんとは今すぐ、君とヒーローしたいよって言いたいけどおっ〜〜」 「おわーっ! 久しぶりの噴水みたいな緑谷の号泣きたー!」 「だあいじょうぶだって! かっちゃんはずーっと待っててくれるっ。だって爆豪の隣りで走れんのは緑谷以外、いな……」  ちょうど注文していたおかわりの生ジョッキが届いた頃、個室の引き戸がピシャリと音を立て一気に開け放たれた。何かつまみとか頼んだんだっけかとぐしょぐしょに涙に塗れた緑谷の肩を抱きながら振り向くと、その先には明らかに動揺して目を丸くしている爆豪が呆然と立ち尽くしていて、ばく、まで呼んだところで突然顔からはみ出るほどに目を吊り上げたかと思えば、意識が朦朧としている緑谷の腕を掴みそのまま引きずるように店の外へと連れ出されていく。それを俺と切島は手を振り涙を流しながらさようなら、お元気でと見送ることしか出来なかった。 *** 「ほれ、水」 「あ、ありがとう……うえっぷ」  顔がぐしゃぐしゃになったままの出久を担いで、近くの公園のベンチに腰を下ろした時にはもう意識が混濁していたものだから腹の底からでかい溜息を溢れんばかりに吐いた。つい三十分ほど前に切島から届いたメッセージにまず怒りが沸き上がり、その後送られてきたアホ面と出久がじゃれ合うように飲み明かしている写真を見た瞬間危うくスマートフォンを握り潰すところだった。  数ヶ月前、アーマードスーツを俺達から受け取った出久は教師としての業務や小中学校への訪問、そして各地での講演会活動も相まって本格的なヒーロー活動は出来ていないというのが現実で、勿論事務所も無所属だし本人がこれまでの仕事を蔑ろにしたくないが故での判断というのは理解していた。ましてや今は雄英高校でクラスを受け持っていることもあり、自分の生徒に手を抜かず卒業までしっかり育て上げてやりたいという気持ちがあるのも知っている。だから、入れない、ということも。  それでも会うたび声を掛けているのは勿論意識の刷り込みのため他ならない。いざ、出久が決心してヒーロー活動を本格化するという話になった時、自分以外の馬の骨に取られるようなことがあればもうキレるとかショックだとかそういう次元ではない。死ぬ。絶望して死ぬかも知れない。 (……つっても、力ずくでどうにかなるような相手じゃねえからなァ〜〜)  精神的にも肉体的にもゴリラが相手だ、油断は出来ない。その上ぼんやりクソ鈍ボンクラナードと来ている。言葉で伝えても伝わらないことが多いくらいなのに、ボケッとしていたらしれっと騙されて名前も知らないヒーロー事務所に誘われたから入っちゃった、なんてことになってる可能性もある。何故なら出久はクソが付くほど流されやすいし、困っているんですなんて言われたらじゃあ、なんて二つ返事で了承してしまうお人好しで、救けるためならうっかり自分を犠牲にするゴミクソ人間なのだ。そんな危険人物を隣りで支え、同じ歩調で歩むことの出来るのは絶対に自分だけだと自負している。それこそもう何年も前から。 「……で、珍しくンな状態になるまで飲んだ理由」 「ああっ〜〜、えと、あの……なんかあ、感極まっちゃってね」 「理由ッ」 「ふあい!」  手放したくない、けれどお前の邪魔はもうしたくない。そんなの我侭だということくらい分かっている。出久の唯一になりたいなんて思う資格が自分にはないことも。  ミネラルウォーターの入ったペットボトルに口をつけ、半分ほど一気に飲み干した出久が、外の冷えた空気に晒されたこともあってかようやく顔色が戻り始めた頃。小さく縮こまるように肩を落として、隣に腰を下ろした俺をそっと見上げては溜息を吐きながらこてんと頭を肩に乗せてくるものだからさすがに驚いてびくりと震えた。 「かっちゃあん」 「な、ンだよッ」 「かっちゃん……」 「だァら何」 「かっちゃん、ぼく……」  まだ、ここにいていいのかな。耳元でそう呟いた直後、うええ、と嗚咽が聞こえて慌てて背中を擦った。 「俺の肩に吐くな!」 「ご、ごめん、急に圧迫感が……」 「ったくよォ……」  まだ少し顔色の悪い出久の背中を擦り続けておおよそ十分。お互いに無言を貫いていた中、その静寂を先に破ったのはようやく酔いが覚めてきたらしい出久の方だった。 「はあ……ほんと、迷惑ばっかり掛けててごめん」 「そんなの今更だろ。テメェに被られた迷惑なんぞ数えンのも諦めたわ」 「そ、そんなに僕君をたくさん困らせてたかな?」 「現在進行形でな」 「うぐぐ……こ、今後お酒は控えますので……」 「そっちじゃねえ」 「え?」 「それより、さっき言い掛けてたやつの説明をしろ」  困らせられていたどころか、こっちはお前に人生めちゃくちゃにされとンだ、とまではさすがに言えなかったものの、今まで腹の底に埋もれて見えなかった出久の本音がひょっこりと顔を出し始めている今を見逃すわけにはいかない。ずっとこの瞬間を待っていた。誰よりも何よりも自分を蔑ろにする、それどころかその自覚さえない出久の、出久自身でさえ気付いていない欲をいつか必ず引っ張り出してみせると常に彼を見ていたのだから。 「なんで、そう思った」 「……だって、僕はいつも君に酷いことをしてる」 「それは今じゃねえからってことだろ」 「だからって、それが君をいつまでも待たせていい理由にはならないじゃないか」 「こちとら八年耐えとったンだぞ。いくらでも待ったるわ」 「僕、なんかより、優秀なサイドキックはたくさんいるじゃないか……なんでだよ、かっちゃん……」 「分かんねえか」 「そんなの、分かるわけ……っ!?」  限界だった。ゴールは目の前なのに、その寸前で煙幕を張られたかのように右往左往している出久を見ているのはあまりにももどかしく、いくらでも待つとは言ったものの生殺しすぎて正気を保っていられるのも時間の問題かも知れない。それでも、過去に罪を犯した自分からは絶対に手を差し伸べてはならない。出久が、自ら、爆豪勝己という男の隣りで生きたいのだと、心からそう思えたその瞬間から俺はようやく彼の手を握ることが許されるのだから。 「泣かないで、かっちゃん」 「……いて、ねェ」 「ごめんね、ごめん……僕、我侭だから、君を困らせたくないのに、君が僕以外の誰かと一緒にいるのを想像するだけですごく寂しくなる」 「出久?」 「教師になったことは勿論後悔してないし、これからも続けたいと思ってる。でも、それでも……時々、昔みたいに君の隣りで、君と空を飛んで、しょうもない話をして、競い合える日々を夢見てしまって、その度に未練がましい自分が少しずつ嫌いになってすごく苦しい」  本当に目と鼻の先にあるゴールテープをじっと眺めたまま動かない、立ち尽くしたまま泣いている出久が確かにそこにいた。まるで自分にはそのテープを切る資格がないのだと示唆しているかのように。 「やりたいことをして、みんなにもらったアーマーでヒーロー活動をして毎日が充実して、こうして君に良くしてもらっている時点で僕はこんなにも恵まれているのに、それ、なのに……これ以上を望むなんて、あまりにもそれは、虫が良すぎるんじゃないかって」 「幸せすぎて怖えってか」 「その幸せのせいで、周りが犠牲になるのが耐えられないんだ」 「は〜〜〜〜〜〜〜〜…………」 「す、すっごいデカイ溜息!」 「そら、出るだろ。お前がバカすぎて」 「シンプルに失礼!」  贅沢という意味をこいつは履き違えていると思った。黙って話を聞いてあげた上で心底腹が立って堪らず脇腹に肘打ちをすると、ぎょえ、と情けない声を上げながら蹲る。 「さすがクソナード歴二十六年なだけはあンな。そのゴミ解釈どうにかしろや」 「ご、ゴミ解釈……」 「いい加減、自分が望んでいることが他人の不幸になると思ってる考えをやめろ、今すぐに」 「それは、どういう……」 「Win-Winになっとることだってあンだろって話」 「例えば?」 「……俺だって、お前の隣りは俺じゃなきゃ、」  嫌だ。そこまで言い掛けて、慌てて続く言葉を呑み込んだ。欲が出た。焦らされて逆に引っこ抜かれそうになって、まだその時ではないと心の中で警鐘が鳴る。冷静でいなければならないと常に気を張っていたのにとんだ失態だった。気持ちを知られたら、出久は必ず自分よりもその相手を優先してしまうから、だからこうしてずっと近くで静かに見守ってきたのに。  頭の中でぐるぐると考えを巡らせながら、逃げるように立ち上がり背を向ける。頭を冷やさなければ、そう思った直後、腕を取られて尻餅をつく形でベンチへと引き戻された。振り向いて、痛ェだろうが、と文句を言ってやろうと思った直後、ふにゃりと唇に柔らかい何かが触れた。 「んんッ」  たった数秒間だったはずなのに、それはまるで数時間はあったのではないかと思えるほどゆっくりと流れたように感じた時間はまるで夢の中のようにも思えた。そんな微睡みが離れていくのが名残惜しくなって、気付けば出久の背に腕を回して力いっぱいにその身を掻き抱いていた。今まで押し込んでいた全てが溢れて、止めどなく流れていくそれを止める術など知るはずもなく、目元いっぱいに浮かんだ涙ごとくしゃくしゃになった出久の顔を乱暴に己の肩へと押し付ける。苦しそうな声が聞こえたけれど、それを気にする余裕なんて一つもなかった。 「……後から、やだっつっても遅ェからな!」 「言うわけ、ないよおっ……ぐす、ひぐぅ」 「酔った勢いだったとかも無ぇぞ!」 「分かってますぅ!」 「テメェが欲しがったモンを、たまたま俺も欲しかったっつーだけだ!」 「それでいい、もうそれでいいからあ!」  人生で枯れるほど泣いたのはこの日が初めてだったかも知れない。大の大人二人が夜中の公園で顔をぐしゃぐしゃにしながら抱き合って文句を言い合っている姿はいつ思い出しても滑稽だったなと思う。それでも、あの時色んなものを吐き出した出久が浮かべた涙と鼻水だらけの笑顔があまりにもだらしなくて、思い出すたびに笑い合える幸せに今はただ二人でいつまでも浸っていたかった。

(2026.03.30)

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