使えるものは使う話
雄英を卒業して、プロヒーローになった彼が一人暮らしをしているというマンションへ初めて訪れたのはつい先週のことだった。偶然お互いに非番の日が重なり、近くの居酒屋で嗜む程度に飲みながら楽しく積もる話をしていたらすっかり終電を逃してしまい、仕方がないと部屋まで案内されたのが切っ掛けである。必要最低限の家具しか置かれておらず、余計な物は一つもなさそうな随分とすっきりとした部屋でかっちゃんらしいなと思う。すっきりしすぎててあまり生活感がない、と零すと週の半分は事務所で寝泊まりしてしまうという事だったのでそこはすぐさま納得した。それよりも、多忙を理由に生活水準を下げるような人間ではないことを知っているので、そんな彼がそこまで自身を追い詰めなければならない事件がこの世で起きているという事実に驚いてしまった。そこで、何かと世話になっているかっちゃんに僕もどうにか力になれないかと思い至って現在に至る。 「いいとは言われたけど……うーん」 来週までバイトのシフトは入れてなかったし、大学も明日は予定していた講義が休講になってしまったので何の問題もないけれど、肝心のかっちゃんが今日マンションに帰ってくるのかどうかも分からないのに、ここ最近頭の中が彼のことばかりだった僕は何の考えもなしに行けそうだから行ってみたといったポンコツすぎる理由で今彼の部屋の扉の前にいる。 共用エントランスさえもオートロック式であるこのマンションに易易と侵入することが出来たのは理由があって、先週の飲み会中に突然合鍵ならぬ合カードキーを押し付けられたからである。僕は使わないよとごく当然の返答をして丁重に受取拒否をしようと思ったのだが、どうせあまり帰ってこないし近くに用がある時は好きに使っていいなどと言うものだから驚いて天と地がひっくり返ったのかと思った。 なにせ僕達はただの幼馴染で、合鍵を持たされるような恋人でもない。ましてや、僕も彼も男で、それはまあ、幼馴染だからこそ好きに使っていいぞという意図であるのなら喜ばしい気持ちはあるものの、もしかっちゃんに恋人がいるとしたらさすがに僕のようなイレギュラーが彼氏の部屋を行き来していたらさぞ不満だろう。そんな想像上の心配をしたものだから、そんなヤツいねえわとしっかり怒られてしまい、結局断りきれずに無理矢理押し付けられて僕の手には使い慣れないカードキーが収まっている。 「まあ、来ちゃったもんは仕方ない。おじゃまします!」 人気はない。そう思っていた通り、一週間ぶりに入った部屋は真っ暗で人気がなく、おそらく今日は事務所に泊まる予定なのだろうと察してとりあえずは安堵する。時間的にまだ日が落ちたばかりでこれから帰ってくる可能性もあるが、普通の社会人と違い、そしてここ最近のかっちゃんの多忙そうな様子からして常識的な時刻に帰宅できるとは考えにくいし、彼には申し訳ないけれど今はいないでいてくれた方が助かる。 (まだ先生にもなれてないし、ましてやヒーローでもないけれど。少しでも、かっちゃんの力になれたらいいな) あのかっちゃんが、僕の力など必要としているかどうかはさておき。 リビングのダウンライトを一つだけ灯して、ローテーブルの向かって床に座り込みソファーを背に背負っていたリュックサックからいつものノートと筆記用具を取り出した。その中の何も書かれていない一ページを丁寧に破いては握り締めたシャーペンですらすらと文字を書き入れていく。書きたいことは決まっていた。本当は疲れて帰ってきたかっちゃんに元気が出るようなご飯やお菓子を作れるような人間だったら良かったけれど、残念ながらそういったことに関してはこれまでおざなりにしていたせいで全くできないし、寧ろかっちゃんの方が美味しいものを作る。無理に不得意なもので勝負はせず、これまで培ってきた知識や経験が役に立つものを活かした方が良いと判断した。 「書けば書くほど怒られるような気がしてきた……けど、僕なりに応援してるつもりだし、少しは元気の源になるといいな」 活かすと言っても、こうしてかっちゃんに手紙を書くことなんて今までに一度もなかったかも知れない。例え過去にそういった機会があったとしても、当然ながら粉々に爆破されて終わりなので書いたところでカウントに含まれることはない。下手げに手紙っぽくしておくと、さすがに悪意を持って無に帰されることはないだろうが、その存在に驚いた勢いで思わず爆破されてしまう可能性は否めない。ので、手紙だけれどあくまでもメモの書き置きっぽい感じで千切ったノートをそのままに中身が見える形でテーブルの上に置いてみた。これならば、初見でも家主の居ぬ間に幼馴染が訪れていて、その時に僕が伝言として残していったのだろうな、くらいの衝撃で収まるはずだ。 「よし。じゃ、帰ろ」 「帰ンな」 「…………は!?」 自分では読み返すのが恥ずかしい程度の長文を書き満足して部屋から出ようと立ち上がったその時、背後から耳元に落ちた聞き覚えのある濁声に堪らず身震いしてその場から動けなくなった。恐る恐る振り向くと、目の前には二徹しているらしいかっちゃんの血走った鋭い眼球がこちらの心の蔵を射抜くようにぎろりと睨みを効かせていて、蛇に睨まれたカエルとはこの事である。 「き、奇遇だねっ。ごめんね、疲れてる時にお邪魔しちゃって! 僕がいると邪魔だろ? 気遣わなくていいよ、また今度遊びに……」 「読め」 「えっ」 「それ、今すぐ読め」 読め。何を、と聞く間も与えず、目が死んでいるかっちゃんはすぐさまローテーブルに置かれたノートの切れ端を掴み取り押し付けるように僕へ手渡すと、無理矢理ソファへ座らされその隣にぴっちりと腰を下ろし逃すまいと言わんばかりに腕を肩に回され、頬と頬が引っ付き合いそうになるくらい距離のない距離を縮められたためここからの抵抗はもはや無意味であった。 「何故、何故ッ!」 「目がよォ……酷使してたせいかカッスカスで痛えンだわ。霞んで読めねえワケ。そんなかわいそうな俺のためにお前なら声に出して読んでくれるよなあ、出久ゥ……」 「ひイィッ」 口は笑っているが目は笑っていない。冗談を言っているようには全く見えないし、絶対に断れない謎の威圧感が僕を襲う。気持ち悪いくらいの冷や汗が背中を流れる中、瞬き一つしない彼の痛い視線を感じながらも渋々掴んでくしゃくしゃになってしまったノートの切れ端の内容を恥ずかしながら読み上げることにする。 「ええと、拝啓……かっちゃん殿。先週ぶりですね、君がこの家に帰りこれを読んだ日から数えても同じく先週であることを祈りつつ、この手紙を残します。この間はご飯奢ってくれてありがとう。おすすめのラーメン屋さん、とても美味しかったので今日のお昼にも寄りました。とても忙しい身であるとは思いますが、また二人でご飯とか食べにいけたらいいな。他に好きなごはん屋さんがあれば教えてね。僕のおすすめも今度教えます、小さな食堂なんだけど中華もあるからきっと気に入ってくれると思う。あと、もし非番の日があって、何も予定がない日とかあったら、何をしなくてもいいので二人でゆっくり過ごせたらいいなと思ってて、その時はまたこの部屋に僕が遊びに行くから誘ってくれたら嬉しいなと、思って、ます……うう、もう終わりにしていい?」 「駄目だ、最後まで読め」 「ひぐっ……。か、体に気をつけて、怪我しないようにね。かっちゃんに限ってそんなヘマはしないと思うけど、最近は厄介そうな任務も受けているようなので、少しでも休める時は休んでください。僕に出来ることがあればなんでも協力……う、わあっ!」 死ぬほど恥ずかしくなって顔が熱い。真っ赤を通り越しておそらく燃えている。火災警報器が鳴らなくて本当に良かった。勢いだけで書いた、置き手紙になるはずだった手紙を宛てた本人の目の前で読まされるという苦行をどうにか果たした直後、突然僕を押し倒すように胸元へ飛び込んできたかっちゃんを慌てて受け止め、何事かと文句を言うも返ってくる返事はなく。仰向けになり腹の上に顔を埋めるようにのしかかるかっちゃんはまるで言うことの聞かない猫のようだと思った。人の許可など得ることもせず、すりすりと首を振り顔を擦り付ける姿は正しく猫である。 「か、かっちゃん……眠い?」 「…………ェが、」 「え?」 「今、テメェがなんでも協力するっつった」 「あ……う、うん。それは勿論、君の力になりたい、から……」 「俺ァ今、クソ仕事のせいでクソみてえな徹夜してクソほど眠いンだよ。抱き枕になってろ」 「そ、それなら寝室行って寝た方が……って、もう寝てる」 静かな寝息と規則的に上下する心臓、ずっしりと重みを感じるかっちゃんが僕の上で至極気持ちの良さそうに眠っている事実が非現実的すぎて戸惑いを隠せない。このまま圧迫されて次に彼が目覚める頃には僕はぺたんこに潰れているのではないか、と思うくらいに密着している状況を打開できる策は今の所思いつかない。せめてもの救い、どうにかかっちゃんの体をソファの背もたれと僕との隙間にスライドし圧死は免れたものの、すぐさま首と背の後ろに両腕が回ってそのままがっしりと抱き締められたので、思わずひぎゃっと情けない声を上げてしまった。 「か、かっ、かっちゃ、あの、僕っ……」 「寝とる」 「起きてるじゃないかあ」 「力になりてえって思っとンだったら、このままでいろ」 「こういうのは好きな子とするもんじゃないの」 「そうだな、合ってる」 「じゃあなんで」 「合ってるって、言っとる」 どういうこと、と聞き返す僕はこの時どれだけ情けない顔をしていたのだろう。先程まで瞑っていたはずの、かっちゃんの赤い視線にばちりとぶつかったその時、景色がスローモーションのように流れていく中で気付けば僕と彼の唇が重なって、それでも外せない、外したくない瞳の交わりにただひたすら何も考えられないまま僕は目の前の熱をひたすらに貪っていた。(2026.03.16)
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