体育祭に出られなかった話

 人々が元の住まいで最低限の生活を送れるようになるくらいには復興が進んだ頃。どうしても後回しになってしまっていた三年生の卒業式が無事に行われ、ようやく進級を果たした僕達が学び舎での授業を受けられるようになったのは心の底から嬉しく思えた。  大戦が終結を迎え、次第に傷付いた体と心は細かい傷を残しながらも今を生きようと必死に藻掻いている。時間だけでは癒やされない、考えを纏めたつもりでも実際にはそれに付いていけていない感情は少なからず存在する。それでも生かされた人間は前に進む他ないのだと必死に言い聞かせ、死柄木と対峙した時のように自身の体を黒鞭で無理矢理動かしていたあの状態が無意識の中で今もなお続いているのだとそう思わずにはいられなかった。  そんな中、朝のホームルーム中に、今年度も引き続き担任となった相澤先生の口から意外な話が飛び出た。 「体育祭の開催が決定した。まあ、お前らが戸惑う気持ちも分かる。しかし、復興が予定より早く進み大多数の方が元の暮らしに戻ることの出来た今、ヒーローたちがこれからの未来を照らす為に是が非でもと校長が掛け合った結果だそうでな」  てっきり今年は中止だろうとクラスの誰もが思っていたので意外な朗報に教室内は沸いた。また去年のように、ライバルたちと競い高め合える喜び、そして常日頃気を張っていた面々にとっては久しぶりの学校行事とあって不思議と生まれた安心感が皆の顔を綻ばせたのだと思う。そんな中、僕はというと勿論楽しみであることに代わりはなかったけれど、恐らく参加をするのは難しいだろうと察した。ワンフォーオールの残り火はまだ微かに燻っているけれど、本気を出し切って試合に望むクラスメイトたちを相手にするにはきっと失礼に当たると思ったし、何より周囲の人々からは極力使用を控えるように言われていた。制限をされているわけではなく、誰もが僕に気遣ってくれているのだとすぐ分かったしその優しさは素直に嬉しく思えた。それに僕自身、この残された微かな力は誰かを救う為に使ってあげたいと常に考えていて、そうなると今持つ力を出し切ってぶつかり合う体育祭での活躍は今の自分には望めない。 「……ま、俺らは無理だな」 「あっ……そっか。そう、だよね」  一人で見学するのも寂しいな、と考えていた最中、目の前の背中が振り返ってそうぼそりと呟いたかっちゃんも、どこか寂しそうな表情を浮かべては苦笑していた。つい自分のことばかりで失念していたが、右腕のリハビリとまだ完全回復とは言えない心臓という名の爆弾を抱えている彼の方がよっぽど参加は難しいだろう。残念だね、と零しつつも僕は、この時点で少しだけ嬉しい気持ちが生まれてしまって彼にはすごく申し訳なく思った。 「やっぱ謹慎コンビは無理そ?」 「多分、出たいって言っても周りが許してくれなさそう」 「確かになあ。それは言えてる」  少し寂しそうに眉をひそめる瀬呂くんの言葉に、なんとなく察した周りのクラスメイトたちのテンションが少し落ち込んでしまい居た堪れなくなってしまったけれど、隣りのかっちゃんが突然いつもの調子で、ンなクソしみったれてねえで完全勝利掴み取ってこいやァ! と煽り立ててくれたおかげですっかり盛り上がりを取り戻してくれたので、耳元でこっそりありがとうと囁くと、そっぽを向いたまま、ン、と一言だけ返ってきたのが嬉しくてつい笑ってしまった。 *** 「もうすぐトーナメント戦始まっちゃうよ、かっちゃん」 「十分あいつらの活躍は見た。こっちは座りっぱでケツが痛えんだよ、少し付き合えや」  体育祭当日。予定通りかっちゃんと僕は本格的な参加は辞退し見学と応援に回っていた。いつも持参しているヒーローノートは開会式から出ずっぱりになっていて、疲れを知らず常に書き込み続けていたものだからさすがに隣の応援席に座っていたかっちゃんもしっかりドン引きしている。今では懐かしいとさえ思えるその感覚に苦笑しつつ、A組や普段はあまり見られないB組の人たちの以前より強さを増した各々の個性を使用して戦闘を行う様子を眺める時間は実に有意義だった。そんなこんなで興奮しながら昼を迎え、午後からのトーナメント方式によるバトルが始まろうとしていた矢先、既に飽きが入っていたかっちゃんに誘われて外の空気を吸いに行くことになった。言われてみれば会場に籠もりっぱなしで、禄に動かしていなかった体はすっかり悲鳴を上げてしまっていて、軋む肩と腰を軽く揉みながら外へと繋がる廊下を辿る。 「やっぱり変に集中しちゃうとダメだなあ」 「そろそろ加減ってもんを覚えろ。根詰めすぎてもパフォーマンス落ちんぞ」 「それはほんと言えてる。僕、すぐ時間を忘れて没頭しちゃうから」  こればかりは幼い頃からの癖のようなもので今更改善するのはなかなか難しい。オールマイトの活躍する動画を何度も何度も繰り返し見ていたこと、好きなヒーローの外見や特徴、個性の名前やそこから生まれる必殺技の考察、頭の中で自分自身と会話するかのように問い続ける様はいくつになっても抜ける様子はない。ましてや、人に止められるまで気付かないことも多く、そろそろ自制を覚えなければ人に迷惑を掛けてしまうレベルであるのは間違いなかった。そんな僕を理解して都度助け舟を出してくれるのが幼馴染である彼、かっちゃんである。一時は即座に爆破で強制終了をしてくる荒っぽさであったが、最近は随分と優しくなってブツブツうるせえの一言で場を収める。初めは本当にかっちゃんなのか、とその存在を疑ったこともあったがその後も同じような対応をされたのでさすがに信じることにした。 「で、この外出はそれの改善策の一つでもある」 「気分転換の仕方を教えてくださるというわけですか」 「ノート纏めに必死で昼飯もまともに食えねえ赤ちゃんには指導が必要だからな」 「あはは、まあまあ酷いな」  つまり、かっちゃんなりに僕のことを心配してくれているということらしい。決して口にはしないけれど。  雄英の体育祭は会場の外に屋台がいくつか並ぶのが定番で、警備に当たっている地方から来たプロヒーローたちが休憩がてら軽食として購入している姿をよく見る。今年もまた足を運んでくれていたらしい、Mt.レディやシンリンカムイといった素晴らしい顔ぶれについ顔が綻んでしまった。ある程度挨拶を交わしたあと、僕とかっちゃんも適当に焼きそばと唐揚げを購入して、通りから外れた人気の少ないベンチに腰掛ける。 「唐揚げ一つちょうだい」 「じゃあそっちの焼きそば一口寄越せ」 「それなら先食べていいよ」  クラスのみんなは今頃真剣に勝利を目指して戦っているというのに、戦力外の僕達はまるで授業をさぼって買い食いをしている悪い子だ。そう思いはするも、僕と彼だけが知っている秘密を共有する感覚は不思議と高揚感がある。  遠くでがやつく人混みの喧騒、楽しそうな笑い声、そして器用に焼きそばの入った透明のパックを膝の上に乗せ、左手で持った割り箸で少しずつ啜っていくかっちゃんと串に刺さった唐揚げを頬張っている僕。 「えへへ……なんか、こっそり抜け出してデートしてるカップルみたい」 「ジャージで飯食ってんのにデートっつー発想がナードすぎ」 「あ、いや、その。二人だけの秘密、的な、なんか……いいなって」 「ハッ、クソナード」  小学生からつい最近まで幼馴染とは思えないほどお互いに距離を置いていた僕達が、こうして二人きりで屋台で買った食べ物をベンチに座ってあろうことか相手のものを一口もらい合いながら冗談を言い合える関係になっているなんて、特に関係性が酷かった中学生の頃の僕が知ったらきっと卒倒してしまうだろう。その上、かっちゃんとそういった時間を共有できることがとても嬉しくて心地が良く感じているのだから人生分からないことだらけだ。可能であるならば、それが永遠に続いて欲しいと叶わぬ願いを名を知りもしない神様に祈ってしまうほどに。 「おい、出久」 「……え?」 「何泣いとんだ」 「僕、泣いてなんて」 「どこか痛えンか」  持っていた焼きそばをベンチの上に置いたかっちゃんが側に寄り、小さく溜息を吐いて心配そうに顔色を窺っている。そこでようやく、何かが頬を伝う感覚に気付いて僕は泣いていたのだと知った。じんわりと目元に浮いた雫が静かに溢れて体操着に一つ二つと染みを作っていく。何も悲しくなんてないのに、拭っても拭っても止まらない涙が不思議で仕方がない。理由も分からなくて自分でもこんなに困っているのに、かっちゃんはきっと僕以上に困惑しているに違いなかった。それでも何も言わずに寄り添い、肩に回してくれた彼の左手の平からじんわりと伝わる柔らかな熱が、次第に暴れている鼓動を優しく宥めてくれていた。 「……もう大丈夫だって、思ってたんだ」 「テメェの大丈夫は当てにならねえからな」 「あはは、信用性ゼロだなあ」 「たりめぇだろ、前科者」 「か、返す言葉もございません……」  すっかりジャージの袖がびしょびしょにふやけ始めた頃、返された冷めた焼きそばを啜りながら僕は肩を落としていた。  ちゃんと諦められる。たとえワンフォーオールがこの体から完全に消え去ったとしても、無個性に戻ってしまってもなりたい自分になるための夢を見つけられるのだと、そう思っていたのに。 「頼れ。どんな些細なことでもいい。今日みてえに散歩すンだけでも付き合うし、出久の好きななんとかカフェとか今度のオールマイト展だって行ったるわ。だから、頼む。俺の見てないところで泣くんじゃねえ」  どうして一番知られたくない人にすぐばれてしまうんだろう。迷惑を掛けたくなかった。心配させたくなかった。我儘を言って困らせたくなかった。だから、奥に隠して蓋をした。鍵もしっかり掛けたつもりだった。それなのに、どんなに沈めてもかっちゃんはいつだって見せたくなかった僕をすぐに見つけて掴み取ってしまう。欲しいと思った言葉も、ぬくもりも、それら全てが鍵を溶かして閉じたはずの箱を容易く開いていった。 「ごめん。ごめんね、かっちゃん」 「我慢すんな。大丈夫、わーっとる」 「ふへっ、信頼性百パーセントの大丈夫だね」 「たりめぇだろ、俺を誰だと思っとンだ」  怖かった。僕の全てを失う未来を、まるでカウントダウンのように刻一刻と迫っていく感覚が心臓を潰していくようで体が震えた。でも、いつだって隣りにいてくれる君が手を握って離さないでいてくれる度、いつの間にか怖さが消えてじんわりと伝う体温に埋もれたまま浮かんでこなかった。  そんな抽象的な感覚を彼らしい素敵な個性だねと本人に言ったら何故だが頭を叩かれて、顔を上げてひどいよと返すとかっちゃんは空になった透明のパックと串をビニール袋に突っ込んでは来た道を辿るようにのろのろと歩き出した。 「……りんご飴。買ったら戻んぞ」 「え? あ、うん」  かっちゃん、そんなに甘いもの好きじゃないんじゃなかったっけ。真っ赤になった目元を気にする暇もなく、呆然としながらもそんなことを考えているうちに随分と小さくなってしまった彼の背中を必死に追いかける。  その日はずっと、夏の匂いのする爽やかな風が吹いていた。

(2026.03.03)

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