冷たい熱の話

 ひび割れた建物の壁が音を立てて崩れ、薄汚れた砂埃が辺り一面に舞う。救けを求める声も聞こえない、危機感知も作動しない人気のない街がまた一つ殺風景と化した。当然のようにライフラインは潰えて日が落ちるとあっという間に暗い世界へ塗れる中で、微かな光を灯しながら宙を舞い早送りのように巡る視界に目を凝らす。黒鞭のしなり、引っ張られるように前へ押し出される体は傷跡ばかりが増えて回復が追い付かず、着用しているヒーロースーツもところどころ解れていたり紛失してしまったりして心許ない。  一人で戦うと決めた。それが、この力を受け継いだ者の運命だから。AFOを討つために先代達が力を蓄えてきたこの力を無下になんて出来ない。必ず遂行させる、運命だからというだけでなく、皆を救い以前のように笑って過ごしたいと心の底で願っているから。誰一人、もう傷付いて欲しくないから。  ポケットに入れていた通信端末を見ると時刻は夕方だった。街灯さえ機能していないせいか、実際の時間よりも辺りは暗く感じ、ぽつぽつと降り始めた雨が風に乗って体とぶつかり弾けて地に落ちる。マスクの仲間で入ってきた粒をくしゃりと拭って、地に降りると偶然廃ホテルが目の前に立っており、少し考えてそのまま中へと進む。フロントの側のエレベーターは当然使用できなかったため、廊下の先にある非常階段を使って客室のある階まで昇っていく。使用されている形跡はなく、被害のある箇所に至っては壁が抉れ部屋の中が見えてしまう場所もあったけれど、建物自体の損傷は軽く、一日寝泊まりするくらいであれば特に問題ないと判断した。 (デバイスの充電……さすがに厳しそうだな。最悪、予備バッテリーで場を凌いで、明日はライフラインが生きている地区を探して……)  ほとんど物の入っていないリュックサックの中身を漁りながら、適当に選んだ客室のノブを捻った直後にどきりと胸が唸る。鍵が、開いている。こういった通常のビジネスホテルは客室清掃後に施錠され、チェックイン後に訪れた予約者の手で解錠し入室するのが一般的である。偶然、ダツゴクが使用していた部屋なのか、もしくは全面戦争時に使用していただけなのかは分からないけれど、警戒するに越したことはない。ただ、危機感知は作動していないため、今の所敵意は存在しないはずだったが、それでも無人である証拠にはならないので念の為息を殺しながら部屋の奥へと一歩を進めた。 (……気配、は感じない。でも、何かが……)  部屋の中はシャワー室にトイレと洗面所があり、一番奥の部屋にはシングルベッドと申し訳程度の小さなテレビと冷蔵庫が置かれていた。一度砂埃が吹き込んだのか壁と床は茶色く汚れ、きれいにメイキングされていたであろうベッドのシーツは白さを失って煤を被っている。そっと寝室を覗くと、そのベッドの上に誰かが寝転んでいるのが見えた。布団に隠れているというわけでもなく、無防備にも天井を見上げ仰向けで静かに眠る姿に呆気を取られて、そしてその正体を理解した直後、堪らず一歩たじろいでしまった。 「っ……か、っちゃ……なん、で」  見間違うはずがなかった。特徴的なつんつんと尖った金色の髪、爆破の個性を存分に引き出すために作られた黒と赤を基調にしたヒーロースーツ、規則的に胸を上下させながら気持ちの良さそうに意識を沈めている彼は間違いなく自分の知っている大・爆・殺・神ダイナマイトであった。しかし、どうして彼が雄英高校内におらず、郊外の街、しかもこんな廃ホテルの一室で睡眠を取っているのかが分からない。誰が許可したのか、オールマイトやエンデヴァー、ホークスはこのことを知っているのか。こうしている間にダツゴクに狙われたらどうするつもりなのか、何を目的にこの場所にいるのか。何もかも、分からないことだらけだった。報告をしようにも通信端末はほとんどバッテリーが切れていて、今から予備で充電を開始しても再起動するまでに時間がかかる。待っているよりは付近で張っているであろうプロヒーローたちを探しに行った方がいい。そして、なによりも今、僕は彼と会話をする資格が、恐らく無いのだから。 (僕が言ったところで、大人しく食い下がるような人じゃないもんね、君は)  彼に僕が送った手紙も、破かれるか燃やされたかできっともうこの世に存在しないのだろう。説明が必要だと思ったから、でもきっと納得はしないだろうと知りながらもあの手紙を書いた。書いている最中、次第に冷えていく心でどんどん息が苦しくなっていった。自分で決めたことだろう、そう言い聞かせて筆を走らせた。怒るだろうか、呆れるだろうか、わざとではないといえどずっと隠し事をしていた。そのために嘘もついてきた。もう、友達だとも思われていないかも知れない。それでもいい、彼らにこれ以上危険が及ばないのであれば、AFOから遠ざけることが出来るのなら本望だった。 (だから離れた。せっかく、離れたのに……)  まだ、目は覚めていない。深い眠りのせいかそっと部屋を出れば、このまま一人置いていくことに不安はあれど自分の存在は知られずに済みそうだった。しかし、そんな思考とは裏腹に足が動かない。眠っている優しげな表情に目を奪われ、気が付けばベッド脇に膝をつき、その顔をじっと眺めていた。  全面戦争以来の幼馴染との邂逅は、驚くほどに暗闇に落ちて冷えた心にぬくもりを与えていく。業火に焼かれたはずの死柄木が繰り出した攻撃から僕を庇ったかっちゃんが、苦しそうにうめき声を上げて地へ落ちていく記憶、フラッシュバックのように脳内で映し出された記憶がふと、目元に涙を浮かばせた。  弱かったから。僕がもっと、この力を引き出せていれば。もうこれ以上、大切な人々を傷付けられたくない。そのために今、僕はここにいる。 「ありがとう、かっちゃん……ごめんね」  シーツの上に投げ出されていた手に触れる。篭手とグローブは外されていて、ご丁寧に床に並べられていた。そして、ゆっくりと指と指を絡めるように握り締め、そのまま額へと当てながら静かに瞼を閉じる。 (大丈夫……きっと、大丈夫)  祈りだった。そして自身への戒めでもある。ふと、母との約束を思い出した。いつかまた、いつかのように友人たちと共に笑顔で過ごせる日を夢見ながら、そっとその手を離してはぼろぼろのマスクを目深に被り直して、開けた窓枠へと足を掛ける。 (絶対に、取り戻してみせるから)  振り向こうとして、やっぱりやめた。そのまま足を踏み出して既に真っ暗な外を黒鞭で繋ぎながら黒い空を泳ぐ。顔を見ただけなのにまるで何かに揺るぎそうな自分を振り切るように、その夜はまだ見たことのない遠い街をめざしてただひたすらに飛び続けていた。 ***  案の定、携帯電話にはうるさいほどの通知が溜まっていた。緑谷出久の捜索許可が下りたといっても、校長やプロヒーローからその活動時間についてかなりの制限を掛けられている。例え仮免許を持っているといえど、まだ学生という身分であることとどれだけのダツゴクがどこに潜んでいるのか分からない無法地帯では危険性が高いと判断された上での指示だった。  理由なんてない。しいて言うならば、なんとなく入ろうと思って入った。ただ、もしかしたら彼が休養に使っているかもという淡い希望は抱いていたのかも知れない。  ここ数日間、毎日のようにグループに分かれデクの捜索が行われている。見つけた時の作戦も、予測できる行動も全て考慮して、常にもしもを頭に入れながら世紀末のような街の中を探し歩いていた。 「…………とう……めんね……」  少し横になるだけのつもりだった。これまでの捜索範囲、行動パターン、次に現れるであろうルート先などを熟考しているうちに、疲れからか眠気が帯びて思い切って仮眠を取ろうと目を閉じた。完全に寝るではなく、意識は保ったまま何かあったときはすぐに動けるようにと警戒もしていた。すると、それから三十分も経たないうちに何者かが部屋に侵入してきた気配を感じて聞き耳を立てていると、それはまさしく、皆が探し求めていた存在そのもので。  静かに屈み、ベッドの横で溜息を吐いたデクに堪らずぶん殴りそうになって、やっぱりやめた。躊躇っている間にも手のひらが突然冷たい熱に包まれ、あろうことか握り締めてきたその震えは祈りへと変わり、泣きそうな声で謝罪を零したデクは間もなく窓から外へと飛び出していく。苛立ちで、気が狂いそうになった。 「……救けて欲しいなら素直にそう言えや、クソがッ……!」  泣いていた。無自覚の涙が、確かに救いを求めていた。そんなことさえ知らずに全てから孤立して身を滅ぼそうとするデクが相変わらず気色悪くて仕方がない、それが最善なのだというように隔てようとするその不気味な態度が腹立たしかった。  ぶるぶると震え続けている携帯電話を手にとって、着信履歴の一番上に並んでいた番号を親指でタップする。 『あっ、やっと出た! ちゃんと集合時間守ってくんねーと皆心配するじゃん! 今どこに……』 「開口一番うるせえんだよ、アホ面。次の地区、目星は付いとる。そこにいるヤツら全員に伝えとけ」  獲りにいくぞ。すぐさま通話を切ったあと、床に置いていたグローブと篭手を拾い、開いたままの窓から身を乗り出し両手に滲んだ汗を爆破させて曇天を割くように空を切る。いつの間にか、追い掛けられるのではなく追い掛ける側になっていた。それが悔しくてむかついて、でもそれさえも受け入れてしまうくらいに彼はもう常に隣りを走る存在になっていた。それが、心地良いとさえ思ってしまう程に。 (認めてやるよ、だからてめぇも振り向いてみせろ)  頑固でわからず屋なところは今でも変わらない。だからこそ、ぶん殴ってでも力ずくで獲って帰る。そこまで考えて、さっきの通話相手が風呂に入れてえとほざいていたことを思い出しては吐き捨てるように笑った。

(2026.02.04)

home