優しい手のひらの話

「生半可な作戦じゃ今のデクは捕まえられねえ。エンデヴァーの情報が正しければ、黒鞭、浮遊、危機感知の他に六代目の煙幕と三代目の発勁も使えるようになっとる。ただし、まともに取り合う気は恐らくあいつには無え。たとえ疲弊した状態だとしても、単純に追っかけるだけじゃまともな会話も出来ねえだろうな」  根津校長に無理くり交渉を申し出てエンデヴァーとの情報共有と緑谷を連れ戻す許可を貰った俺らに立ち塞がった次の壁は、文字通り緑谷出久の存在そのものだった。  一方的に突きつけられた手紙は拒絶とも取れるほどにA組から距離を置こうとする緑谷の意思を強く感じ、救けたいという感情論だけで連れ戻せるような簡単な話ではないのは分かっている。緑谷自身、友人を守りたい一心で、誰も巻き込みくないという彼の気持ちは痛いほど理解できるけれど、そんな彼一人に全てを背負わせられるなんてそんな残酷なこと出来るはずもなかった。  緑谷出久はイカれてる。爆豪がそんな極端な言葉で表現していたけれど、それはあながち間違いではないとも思う。彼は諦めない。正しいと思ったことを必ず成し遂げようとする覚悟がある。それがたとえ、身を滅ぼすことになろうとも彼は誰かを救おうとしてしまう。それをする度に悲しむ人間がいることを分かっていながらも、自分が出来ることを優先して勝手に体が動いてしまうように見えた。 「バカの言い訳なんて聞かんでいい。力ずくでも連れ戻す。そのためにはてめぇらの力がいる。誰一人欠けてちゃ作戦は成功しねえ」  全面戦争のあと、退院して雄英へと戻ってきた爆豪は何処か上の空で遠くを見つめている瞬間が確かにあった。真っ黒に焦げた死柄木弔の体から伸びた稲妻のような黒い触手から緑谷を庇った彼の中でどんな心境の変化があったのかは俺には分からなかったけれど、これまでとは違う、緑谷出久に対する意識が変わったことだけは分かった。その上で押し付けるように受け取った手紙の内容はあまりにも突拍子で簡単に受け入られるはずもなく、こんな手紙だけで済むと思われていることも酷くショックで苛立ちさえ覚えた。 「……緑谷は、何で俺らを頼らねえ」 「言ったろうが。アイツはイカれてんだよ、今に始まったことじゃねえわ」 「轟くん。君だって、もう分かってるんだろう。緑谷くんは恐れている。雄英にいることで、俺達やここに避難している方々を巻き込んでしまうことを」  ワンフォーオールという、オールマイトから授かった個性を死柄木弔とオールフォーワンが狙って動いているから。長年続いてきたというその呪いのような戦いに俺達を巻き込むわけにはいかないから。  目を細め、まるで自分に言い聞かせるように答える飯田の言葉を認めざるを得ないことが悔しくて、抑え込んでいたはずの言い表せない憤りがどんどん溢れて息が苦しくなっていく。 「だからって、緑谷だけがどうなってもいいワケじゃねえのに……!」 「だァからこうやって総出で作戦練っとる。許可は取れてんだ、今はうだうだ駄弁ってる暇なんてねェ。腸煮えくり返ってんなら殴ってでも連れ戻す気持ちでやれや」 「ッ、爆豪……なんで、お前、そんな……」  不思議だった。こういう場で一番にキレ散らかしそうな男が、表情を変えることなく冷静に思考を巡らせるその様子が何故だか緑谷の姿を連想させた。誰よりも目的の為に、あんなにも暴言を浴びせていた幼馴染の為に必ず取り戻そうと躍起になって動いている彼の腹の底に潜んでいる思いが、どれほど濁り沈んだものなのか俺達には分からない。A組と出会う前の二人が、どんな関係であったのかも。でも、それでも。 「言いてえことが出来た。それだけだ」 「緑谷に?」 「ムカつくんだよ。クソザコのデクに守られるくらいなら死んだ方がマシだろうが。とっ捕まえて俺が気が済むまで殴り殺したる。そうでもしねえと気がすまねぇ」 「……心配なんだな、爆豪も」 「はァァァイ!? ンなもんしてねェけどォ!?」 「俺もそうだから。それに、みんなも」  力を込めた声でそう零すと、共有スペースに集まっていたA組の視線が一つに集まる。全員が頷いた。気持ちは一つだった。まだ出会って1年と少しの間柄だけれど、誰か一人でも欠けてはならないくらいに皆お互いを信頼して、手を取り合える仲間だと胸を張って言える。勿論、秩序ない世界でただ一人戦い続けている緑谷も。 「デクくん、帰ってきたらまず何しよっか」 「どうせ碌なもん食ってねえだろ、あいつ。甘いものもいいけど、まずは炊きたてのご飯とか食わせるか」 「つか、風呂! ぜってー風呂だろ!」 「少し落ち着いたら、淹れたてのお紅茶などもよろしいですわね。心が休まりますわ」 「誰がなんと言おうがまず殴るっつったろうがッ! 二度と家出出来ねえようにボコしてやンだよ!」 「おう、爆豪! それじゃあ寝かしつけは頼んだ!」  今なら分かる。誰もが守られたいわけでなく、傷だらけになりながらも前に進む緑谷の側で、彼と同じスピードで走り支えてやりたいのだと。  いつもの調子で目を吊り上げながら怒り切島に突っかかる爆豪を眺めながら、飯田がきっと大丈夫だと頷くその横で胸の奥に残る不安をかき消すように静かに頷いた。 ***  共有スペースで目を覚ました時、昨日の記憶が朧気だった。麗日さんの演説が終わった後、どうにか寮まで辿り着いた直後にA組のみんなに一から百までお世話になったことは間違いないけれど、部屋に戻る前に共有スペースのソファで座りながら眠ってしまったようだった。いつの間にか掛けられていた布団もきっと誰かが気を遣って持ってきてくれたのだろう。本当に頭が上がらない。  一人でいることが正しいと思った。一人で戦わなければいけない戦いだと思った。でも、そうではないことを知った。教えてもらった。どんなに特別な力を持っていたとしたも一人では勝てない、救けられない。共に前を進む仲間がいるから踏ん張れる。いつの日かオールマイトが言っていた。勝って救ける、救けて勝つ。そんな理想を現実にするために、最高のヒーローになる為に僕達は全員で前へ進む。本当に、愚かだった。そんな事も気付けずに、オールフォーワンの策略にまんまと嵌って、何も救えないまま一人朽ち果てるところだったのだ。 「……緑谷」  共有スペースのテーブルに置いたままだったスマートフォンの電源を付けると、時刻は深夜の二時過ぎだった。喉が渇いていることに気付き、立ち上がろうとしてそれをいつの間にか起きていた轟くんに静止され、手渡されたコップの中には今まさに欲しいと思っていた水が入っている。 「ありがとう。でも、なんで?」 「眠れなくてな。だから、俺のついでだ」  汲まれた水道水は程よい温さで喉を刺激せず一気に飲むにはちょうどいい。ふう、と息を吐きながら体中に潤いが巡る感覚に振れた鼓動が次第に落ち着いていった。 「体の調子はどうだ」 「特に問題ないよ。少し傷が痛むくらい」 「どこだ」 「あ、いや、その。そんな大したのじゃないんだけど」  無意識に脇腹を撫でた手、それを見逃さなかった彼がすかさず退けてTシャツの裾を捲った。既に治療は済んでいたがレディ・ナガンに撃たれ直撃はなかったものの抉られた裂傷がまだ跡になって滲んでいる。それ以外にも度々退治したダツゴクとの戦闘で体の彼方此方には傷や痣が残ってしまっている。それを察した轟くんにじろりと睨まれ、申し訳なさに身を縮ませていると諦めたのか間をおいて小さく溜息を吐いていた。 「……ご、ごめん」 「おまえ、ほんと……そろそろ無傷で帰ってくることを覚えろ」 「心配してくれてるの?」 「当たり前だ。おまえ、目ぇ離すと骨の一本や二本は軽く折ってくるだろ。俺がハンドクラッシャーなのはほとんど緑谷のせいだからな」 「あははっ、そのネタやめて。本当に面白いから」  冗談で言ってるわけじゃねえぞと釘を刺されながら、場を和ませたくれたであろう彼に心の中で感謝する。  久しぶりに再会した轟くんと氷柱の中で対峙した時、彼は僕の責任を分けて欲しいと叫んでいた。そしてかっちゃんは、僕に出来ないことはみんなが拭ってやると、あのかっちゃんが自分の口で僕にそう告げた。本当に人に恵まれている人生だと思った。勝手に雄英を出て、一方的に別れを告げ、一人で戦うことを覚悟して、でも結局どうしようもなくなった情けない人間を彼らは、まるで当然とでも言うように迷子だった僕の手を握ってくれた、僕のヒーローたち。 「感謝してもしきれないや。かっちゃんにも言ったけれど、あの……付いてこれないなんて言って、本当にごめん」 「気にすんな。分かってくれたなら、それでいい」 「……君に言われて思い出したんだ。自分が自分じゃなくなっていたことさえ、僕は気付いてなかったこと。飯田くんが手を握ってくれて、かっちゃんが……あんな風に僕を見てくれて、他の皆もたくさん声を掛けてくれて。こんなに優しい人たちのことを、どうして僕は遠ざけて振り返ることも出来なかったのか、今も不思議でならない」 「緑谷……」  必死だった。自分にしか出来ないことだと思ったから、どんなに傷付けられても止まらなかった。でも、限界はもうとっくに過ぎていた。焦りや怒りが振り向くことを許せなくなっていき、差し伸べられた手を掴もうとも思わなかった。たった一人に出来ることなんて限られているのに。 「……なんか、久しぶりに笑った気がする」 「ほんとにひでぇ顔してたもんな、おまえ」 「轟くんが言うんだから、僕相当だったんだな」 「かなりキまってた。俺はやっぱ、いつもみたいなへらへらしてる緑谷が一番いいよ」 「へらへらて!」  本人は至って真面目な話をしていたけれど、その中で突拍子に褒め言葉とは思えない笑顔の表現をされて堪らず腹を抱えて笑ってしまった。それにつられて意味も分からず笑ってくれる彼はやはり優しい人だなと思った。  窓の外を見るといつの間にかもう朝日が昇り始めている。いつも起きている時間までもう一眠りできそうだったので、今更動くのも億劫で、風邪引くなよと気遣ってくれたあと自室へと戻っていった轟くんを他所に、そのまま布団を被り瞼を閉じる。物音一つない静かで真っ暗な視界、次第に意識が沈んでいく中、そっと、後ろから頭を撫でられた気がした。 (……轟くん……?)  瞬間、おひさまの匂いが鼻を掠った気がしたけれど、疲弊した体が覚醒を許してくれず、どこか懐かしい気持ちになりながら結局それが何なのか分からないままに夢の世界へと落ちていく。でも、不思議とそれに嫌悪感はなくて、そっと頭を撫でたその手のひらは間違いなく優しさで満ちたものだった。

(2026.01.24)

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