背中を押したい洸汰くんの話
雄英高校の一日は本当に忙しい。先生と生徒の言う忙しさはまた種類が違うものであることくらい分かっているけれど、中でも担任の緑谷先生は群を抜くレベルで仕事に忙殺されていて、生徒である自分たちが察してしまうくらいには目まぐるしい日々を送っている。原因なんて分かりやすいもので、誰だって身一つであり一日でやれることは勿論限られていて、それを理解した上で当然のようにキャパオーバーが確定した業務を力技で熟そうと躍起になるからである。通常の授業の他に、休み時間中の個別指導及び相談と話し相手、勿論次の日の授業の準備だってあるし、テスト期間であれば筆記と実技試験の内容考慮、他の先生方への協力要請と相互の考慮のために何度も打ち合わせなどをしているはずだ。そして、放課後に自主練を見てほしいと生徒に頼まれたならば彼が断るはずもなく。正直、いつ休んでるんだろうと思った。寧ろ休んでるかどうかも怪しい。 一度だけ、緑谷先生が昼食を食べているところを見たことがある。昼前の授業で緑谷先生がオールマイトボールペンを教卓に忘れていったことに気付いて職員室まで届けた時、両手で持っていたメロンパンを頬張っていて思わずかわいいの食べてるんですねと笑ったら、とても照れ臭そうに眉を八の字にして頬を染めていた。聞けば昔からの好物らしい。カツ丼が好きなことは知っていたけれど、意外なおもしろ情報を偶然得てしまい何故だか得した気分になった。 「そんなんで足りるんすか」 「足りる足りないというよりは、とりあえず口に入れとけばなんとかなるかなって感じ」 「ああもう……この間、相澤先生にもちゃんと食えって言われてたじゃん、緑谷兄ちゃん」 「大丈夫、普段はちゃんと食べてるよ。今日はたまたま」 緑谷先生の言う大丈夫が本当に大丈夫だったことはあまりない。この人は自分が大丈夫であることよりも、他人が大丈夫でないことを無意識に優先する癖があって、これは彼と出会った頃からその本質はまるで変わっていない。まだ俺が幼い頃にマスキュラーというヴィランから守ってくれた若かりし頃の彼の無茶苦茶っぷりほど今は顕在ではないのかも知れないけれど、やっぱり緑谷先生は今もあの頃の緑谷先生のままだ。 「まーた怒られるぜ。知らないよ、俺」 「言わなきゃバレないもん」 「なーにがバレないってェ?」 噂をすればなんとやら。ほぼゼロ距離に近い背後から気配なく圧を掛けてきたのは、目の前で一気に顔を青ざめた緑谷先生の幼馴染であり、時々特別講師として俺ら生徒にも厳しく指導をしてくれるプロヒーロー、大・爆・殺・神ダイナマイトだった。ルミリオン、ショート、そしてヒーローデクと並び常にビルボードチャートの上位にランクインしている誰もが知る有名人である。特にデクと二人でヴィランを追い詰めている時のコンビネーションは他では真似出来ないほどの、正しく阿吽の呼吸、以心伝心な動きには毎度舌を巻いてしまう。 「今夜十八時、正門」 「ええ? さすがに定時は無理だよ」 「うっせ。遅刻したら明日からメロンパン禁止にすんぞ」 「酷い、あんまりだ。これのおかげで万年カップ麺生活を免れているのに」 瞬間、顔からはみ出した尖った白目が緑谷先生をぎろりと睨み付けた。それはそうだ、普段はカップ麺ばかり食べていますと自白したようなもので、失言だったことを今更気付いた彼はあちゃあと冷や汗を浮かべ視線を泳がせている。まるで反省をしていない彼を他所に、肩を落とした大・爆・殺・神ダイナマイトは意外にもそれ以上責め立てることはせず、どこか虫の居所が悪そうに頭をポリポリと掻いてそのまま踵を返し廊下へと姿を消してしまった。 「全くもう……心配症なんだから」 「日頃の行いってやつだよ、デク先生」 「反論できないのがまた辛いところだ……」 自覚があるなら少しは彼の気持ちを汲んであげたらいいのに。しかし、緑谷先生が自身を疎かにしつつもこうして注意を受けるまで甘んじた上で矯正されることに拒否反応を示さない相手は、大・爆・殺・神ダイナマイト、否、爆豪勝己しか俺は知らない。幼馴染だからこそなのか、はたまた爆豪勝己だからなのかは知らないけれど、確実に目に見える形でしっかり我儘を言って甘えられる彼の存在は周囲の人間はとても助かっているし、いっその事さっさとくっついちゃえばいいのにと勝手なことを思ってしまうくらいには大変都合が良いのである。 「そろそろ潮時ってやつじゃん? アレは絶対に待ってる顔だね」 「大人を揶揄うんじゃありませんっ」 「そんな悠長にしてると、いつか誰かに取られちゃうかもよって話ですよ。あ、これ忘れ物。ここ置いとく」 「あ、うん。ありがと。僕のことはいいから、洸汰くんも早くご飯食べておいで」 「はーい。そんじゃ、午後もビシバシお願いしまっす!」 にかっと笑顔を浮かべながら職員室を飛び出し早足で食堂へと向かうと、廊下の曲がり角で突然背後から肩を掴まれ、人気のない階段へと引っ張り込まれた。うお、とうめき声を上げて振り返ると、そこには先程会ったばかりの大・爆・殺・神ダイナマイトがカレーパンを掲げて突ったっている。 「おら、飯」 「いんすか」 「日頃の礼。あのバカ、俺が何度言っても改めやしねえ」 「……つっても俺、そこまで貢献出来てないです」 「いンだよ。俺以外に気ィ留めてくれるやつがいるだけでもだいぶ違ぇから」 倒れてからじゃ遅えんだ。小さく溜息を吐きながらそう肩を落とす大・爆・殺・神ダイナマイトは、忖度なく心の底から緑谷先生のことを心配しているのだろうなと思った。自分よりも遥かに付き合いの長いであろう彼は、これまでに何度同じような心労を抱えてきたのだろう。幼い頃から知っていると聞いたことがあるので、それはもう想像の範疇を容易く超えているはずだ。それでもこうして大人になった今でも変わらず接しているのは、それこそ爆豪勝己という存在であるからなのかも知れない。 「……脈、あると思う」 「ハァ?」 「ふっかけたら顔真っ赤だった。ありゃ今に始まった感じの話じゃないね」 「そういう浮かれた話に慣れてねえだけじゃねえの」 「何言ってんのさ、二人とももうそれなりにいい年でしょ。いくらあの緑谷兄ちゃんでもさすがにそこまで初じゃないっしょ」 「…………」 「遅かれ早かれなら、俺は早い方がいいと思うけど。本人は気付いてないけど、校内にだってガチ恋勢いっぱいいるかんね。ボケッとしてるうちに掻っ攫われても知らないから」 少々辛めのカレーパンを頬張りながら、腕を組み考え込んでいる彼へと素直に思ったことを話した。 普段は無遠慮にずかずかと踏み込んできそうな性格をしているくせに、本当に大切だと思っているもののことに対しては臆病で、というよりはかなり慎重に行動をする彼と話をすると普段とのギャップが激しくて堪らず風邪を引きそうになる。まるで、今まで何度も失敗したから今度こそ絶対に上手くやってやるんだと言わんばかりの慎重さで、見てるこっちはどぎまぎされて非常に歯がゆい思いをさせられるのだ。しかし、当人同士のプライベートな問題に他人が干渉するのはよくない。ましてや、恋愛ごととなると二人にしか分かり得ない感情が存在しているはずで、それをどうこう突付く権利は周囲にはなく、いや、勿論突き倒したい気持ちはあるんだけれども。 「もういい加減そろそろ大・爆・殺・神ダイナマイトの最高に男らしくてカッコイイとこ見せてよ」 「ンだとコラァ! 普段はカッコよくねえっつっとんのかァ!?」 「ヒーローとしてはいつもカッコイイけど、爆豪さんとしてはなんかもうじれったすぎて早くしてってなってる。悪いけど俺だけじゃなくて、A組みんなそう思ってるからね」 「ぐッ……ッ、う……この、マセガキどもがァ……!」 そろそろ壁に穴が開きそうなほどに彼が苛立ち始めた頃、ついに昼休みが終わり午後の授業が始まる始鈴が廊下に鳴り響き、残りのカレーパンを口の中へと押し込んだ。確か次の教科はヒーロー史だったはずだ。これで遅れを取ったらさすがに緑谷先生に顔向けできない。 「カレーパン、ごっそさんした!」 あの大・爆・殺・神ダイナマイトにも弱点があるんだなとしみじみ感じ、人混みを抜けるように早足で駆け抜けていく。姿が見えなくなる直前、少し遅れて聞こえてきた、廊下は走るんじゃねぇ、なんて彼らしくない指導の言葉を浴びながら、まだ緑谷先生がやって来ていない教室へと笑いを堪えて滑り込んだのだった。(2026.01.19)
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