付き合いたてでギクシャクする話
ある日突然、かっちゃんに思いを告げられた。彼も自分と同じ気持ちだったのだと思うとそれがとても嬉しくて、気付いたら腰を九十度に曲げ飯田くんにも負けないくらい真っ直ぐに手を差し伸べてよろしくお願いしますと高らかに声を上げていた。返答なし、恐る恐る見上げた先に浮かんだ、想像通り少し引き気味の顔を見つけては何故か酷く安心して、律儀にもこちらこそ、なんて渋々手を握り返したかっちゃんが何だかおかしくて笑ってしまった。勿論、顔面を殴られた。 しかし、次の日また次の日と、僕とかっちゃんの関係が変わろうとも日常は然程影響を受けておらず、それどころかただの幼馴染だった数日前と違うところといえば、幼馴染から幼馴染の恋人にランクアップしたという事実のみで、実質付き合っているのかと問われるとその証拠を提示できる自信は今のところ一つもない。 「付き合ってるって、なんだろう」 勿論、意味は知っている。互いに特別に想い合っている人間が触れ合い、絆を深め、時には体を重ね、そして行く行くは死を分かつまで愛し合うことを誓い寄り添い助け合う相手を恋人や伴侶と呼ぶこと。だなんてこっ恥ずかしくて到底口では説明できないが、一言で表現するならば他の誰よりも最優先したい、大切にしたい、特別な存在と思うことなのだと認識している。でも、かっちゃんに告白をされて一週間は経過したけれど、その間もいつも通りの授業を受け、以前よりは優しくプリントを回され、昼も至って普通に食堂でランチラッシュのカツ丼を食べ、帰りも二人で帰るとかでもなく普通に一人で寮へ戻り風呂に入って自分の部屋で課題をこなしたり自主練や筋トレに励む日々。正直充実していると思う。でも、今言いたいのはそういうことではないのだ。 (……自分から行動するべき、だよなあ) 納得がいっていないのは確かだった。そもそも先に告白をしてきたのはかっちゃんだ。先にしてきたから何だ、と言われたらそれまでではある。しかし、告白したからには電話やメッセージの一本くらいくれてもよくないかとは思う。恋人ってそういうものじゃないのか、そこまで考えていくら恋人といえどあのかっちゃんが僕に対してそんなマメな連絡をするはずがないだろうと今更になって自戒する。けれど、そういった交流が可能であるのであればしてみたい気持ちはある。それはそうだ。せっかく思いが通じ合ったのだから、僕だけに向けられた彼の特別な声や言葉を欲しがるのは決して不自然ではない。 ふと、自室の机の上に開かれた課題のノートを眺めながら、煩い鼓動を宥めてメッセージアプリを恐る恐る開いてみる。A組のグループチャットではなく、かっちゃん個人のチャットルームにはまだ一度もメッセージの履歴は残されていない。何もない場所に、新しい何かを送り込むための勇気を振り絞るのはなかなか大変なことだった。それなりの覚悟と心構えがいる。相手はかっちゃんだ、下手すれば即ブロックという確率も否めない。それが付き合いたての恋人が相手だったとしても。 (えと……どうしよう) 時刻は十九時過ぎ。夕飯と風呂を済ませて自室で自由に過ごす者、共有スペースで友人との交流を楽しむ者、または自主練に励む者に分かれるこの時間に、かっちゃんが取る行動は主に前者の前者、そしてそのまま高校生男児にしては早すぎる就寝コースが彼の日常であり、つまりメッセージのやり取りをするならばチャンスは今しかない。うだうだと悩んでいる間にも健康的な生活を送るかっちゃんは恐らく寝る準備を始めているに違いない。だからこそ、恐らくこの時の僕は焦っていた。まず何か、何でもいいから送ってみよう。とにかくスタート地点に立たなければ何も始まらない。そう思って、勢いのままふと浮かんだメッセージを一言だけ送信してみた。 『もう寝ちゃった?』 送ってから気付いた。起きてるって返ってきたらなんて返せばいいんだ。そんな単純なことにさえも頭を抱えている間に手汗まみれのスマートフォンから通知音が鳴った。 『起きとる』 ああ、どうしよう。本当にそのまんま返ってきてしまった。チャットルームを開きっぱなしにしていたからすぐさま既読表示が付いてしまって、まだ内容を確認していないという言い訳が出来なくなった。 『何か用か』 『急にごめん。そういうのじゃなく、送ってみたくって』 『暇かよ』 『課題はやってるよ』 『ノロマ。俺はとっくに終わっとる』 『仕方ないだろ。ちょっと詰まっちゃって』 ぽん、ぽん、と数分おきに響く通知音を聞きながら、握っているシャーペンをノートに滑らせる。うるさいくらいに響いていた鼓動はやり取りをしていくうちにゆっくりと落ち着いて、この場にいない恋人と話をしながら課題を熟す時間がいつしか心地良いものへと変わっていった。まるで交換日記のようだった。かっちゃんとは幼馴染だけれど、あまり仲の良くなかった期間があまりにも長かったので、会話はおろか手紙やメッセージのやりとりなどほとんどした覚えがない。直接会って話すことも好きだけれど、まだ距離を縮めたばかりの僕たちには、こういったメッセージのやり取りがちょうど良いのかも知れなかった。 『写真』 『教えてくれるの?』 『おせえ、寝る』 『ちょっと待って、お願いちょっと待って』 せっかちすぎる。というよりは、照れ隠しなのかも知れない。慌てて該当する問題集のページのカメラアプリで撮影して特に編集もせずそのまま送信した。端の方に無関係な問題も入ってしまったので、ここですと矢印スタンプくらいは付けるべきだったかも、と思った直後に返信が届いた。 『鍵開けとけ』 『なんの?』 まさか正しい解答を導き出す裏技がなにかかな、なんて呑気なことを考えていたら突然ドンドンと激しく揺さぶられる音が自室に響いたと同時に、こんな荒々しいノックをする人物など一人しかいないので慌てて扉を開くと想像していた通り、先程までメッセージを送り合っていた相手がそこに立っていた。 「おわ、何」 「開けとけっつったろうが」 「二分前の話でしょそれ」 行くの一言もなく突撃してくる辺り、かっちゃんらしいといえばかっちゃんらしい。しかし、ただ一つ解せないのは枕を小脇に抱えてやってきたということだ。もしかして疲れてるけどごろごろしながらだったら課題を教えてやってもいいとか、そういうアピールとして持参したのだろうか。 ずかずかとまるで自分の部屋のように足を踏み入れるかっちゃんの背中を眺めて、ちょっと笑いそうになったのを耐えながら、小さめの折りたたみテーブルを広げてその上に開きっぱなしの問題集とノートをそのままの状態を維持しながら腰を下ろしたかっちゃんの前に置いた。意外にも突っぱねられない。それどころか、僕のオールマイトシャーペンを握り締め、解けなかった問題文の脇に何かを一生懸命書き込んだかと思えばすぐさま横になり持ち込んだ枕に頭を沈めていた。持っていたシャーペンはテーブルの上に放られて寂しそうに転がっている。 「へ?」 「ヒント。これで分からねえならそもそもてめえの頭がイカれてるっつーことだな」 「なんて酷いことを言うんだ」 「受験生だろ。ンなカス問題で躓いてたら、なりてえモンなれねえぞ」 なりてえモンになる。かつて、似た台詞を飯田くんに向かって轟くんが言ったなあと思いだした。やはりトップを目指す人間はそういった心を動かす言葉を咄嗟に口に出来るものなのだろうか。 かっちゃんは、あの大戦を経て僕に対して随分と優しくなった。幼い頃から口は悪かったけれど、彼に個性が発現する前のように対等でいられる関係になれているのだろうと自負している。と言っても、OFAの残り火が消えてしまった今は対等と言っていいものが悩むこともあるけれど、それでもかっちゃんは以前のように僕を下に見るような言い方はしなくなっていった。まるで、普通の友達のようになれた気がして嬉しかったけれど、寂しいように感じることもあって人間の感情は本当に複雑で理解が難しい。望んでいたことが叶っても、その代わりに失ったものもあってそこから寂しさが生まれるなんて不器用極まりない。 友人以上に好きだと気付いたのは、かっちゃんが自分以外の知らない人に言い寄られているのを見た時だと思う。厄介ファンという表現があるけれど、かっちゃんに関しては僕のようなことを指すのだろう。同担拒否だ。否、勿論ヒーローとして、大・爆・殺・神ダイナマイトが理解ある人々に応援されている姿を見るのは本当に嬉しいし(勝手に)誇らしくもある。でも、爆豪勝己としてならまた別の話で、一番身近で一番長い年月、そして一番爆豪勝己の背中を追って彼を見続けてきたのは僕で、いつまでも君の隣りに並んでいたいと心から強く願っているのだ。我ながら、存在が重い。自覚はあるし、かっちゃんもきっと不快に感じているだろうと思っていた。ところが、である。 「……ねえ、かっちゃん。聞いていい?」 「それ以上のヒントはねえ」 「そうじゃなくて、その……自信がなくて」 「少しはその小せえ脳味噌で考えろ」 「どうして、僕のこと好きなの?」 寝ながらスマートフォンを弄ってきたかっちゃんの親指の動きが止まる。僕はというと、課題を解く手は止めていない。シャーペンの芯がノートを滑る音、漢字を間違えて慌てて消しゴムで消そうとしたらぐしゃりと皺が寄った。 「……どういう意味だ、そりゃあ」 「だから、自信がないんだ。かっちゃんに好きだって言われてとても嬉しかったけど、そんな風に思ってもらえる要素が本当に僕にはあるのかなって」 「ハァ? てめぇふざけとんのか」 「いや、だって……その。つ、付き合うってなって、それからも別に今までと何ら変わりなかったし。僕の気持ちを汲んでくれただけで、君の優しさに甘えてただけなのかなとか、あの。いや、違うな。そもそも、好きだっていうのは君にとって友達としてで、僕がただ勘違いしてただけだったのかなとか、うん、そう……そんな、感じ……」 「要約」 「勘違い野郎の僕が君に優しくされて思い上がってるだけなのかなと悩んでいました!」 「最初からそう言えやぁ……!」 はあ、の後に伸ばし棒が二十個くらいくっつきそうな程長い溜息のあと、勢い良く上半身を起こしたかっちゃんはすぐさま僕の腕を掴みこの身を引き寄せ、一方僕はというと油断をしていたので何の抵抗も出来ないままに、少々怒りを募らせたかっちゃんの顔が目の前に突然現れてはそのまま唇を奪われた。ちょうど息を吐いたところだったから酸素不足もいいところだ。しかし、意外にもその口付けは突如として終わりを告げ、次は目だ、彼の赤い瞳が刺すように僕の緑を貫いてきている。 「かっ、」 「……こうでもしなきゃ信じらんねえってことだろが」 「でも、だとしてもなんで」 「出久だから。それ以上に理由なんていんのか」 冗談で言っているわけではないことくらい、言われてすぐに分かった。 「てめぇはどうなんだよ、出久」 「僕は……いや、僕も、そう。かっちゃん、だから、好き」 「チッ、またパクリかよ」 「君が言わせたんじゃないかっ……」 相変わらずずるい人だ。でも、やっぱり優しくて、大好きだなあと思った。そうしたら不意に視界がふにゃふにゃに混ざり合って、ノートに透明な染みが付いた時にようやく自分が泣いていることに気付いた。悲しいからではなくて、恵まれて、幸せで、温かくて、嬉しかったから溢れてきてしまったんだと。何度説明をしても目の前のかっちゃんは溜息ばかり吐いていて、すっかり呆れてしまった彼は僕のベッドに横たわり大きなあくびを掻いている。 「寝る」 「あっ……う、ごめん。ごめんね、かっちゃん。僕はまた、君のこと傷付けてしまったよね」 「これ以上謝ったら地べたに寝かすぞ」 「いいよ、それで。ていうか、君ここで寝る気? 僕、また謹慎ボーイズなんて言われるの嫌だな」 「知らねえ。それよか課題」 「そっちは終わったよ。君のおかげ……っ、ちょ、待っ!」 なんだかんだ話しながらでもどうにか明日提出の課題を終わらせられたことに安堵しているのも束の間、今度は腕を掴まれ力ずくでベッドの上へと投げ飛ばされた。一歩間違えたら壁に激突していたがなんとか踏み止まり、しかし離されないまま僕の体はウトウトし始めたかっちゃんの腕の中へすっぽりと収まってしまったのである。 「あ、の」 「代償。俺んこと温めコロせや」 「つまり湯たんぽ」 「…………」 「おやすみ、かっちゃん」 背中に回る両腕、絡んだ足、久しぶりに鼻を掠るかっちゃんの匂い、二人分の体温がじんわりと布団に熱を帯びせて僕の瞼がゆっくりと下がってゆく。これが僕にとって過ぎた幸せであったとしても、いつか本当に隣りにいられなくなる日が来てしまったとしても、今夜だけは腕の中で夢を見ることを許して欲しい、そんなことを祈りながらそっとかっちゃんの頬に触れるだけのキスをした。(2026.01.17)
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