キスの日の話

(ヨリ×マゴ)  その日はとにかく疲れていた。シャケ討伐のアルバイトを四時間、参加する予定のなかったバンカラマッチを二時間、その後へろへろになるまで体力を消耗したまま夕飯の買い物を三十分、仮住まいであるアパートに帰ってきた頃にはもうボロ雑巾のような状態で玄関に転がり込んでいた。隣りには脱ぎ捨てられたシャコナックル、電気の付いているリビングから甘酸っぱくてどこか濃厚な匂いが漂い廊下にまで広がっている。 「ただいまあ」 「ナイスタイミング、飯出来たとこ」 「作ったの?」 「半分くらいは惣菜な」 「あっ、オムライス!」 「先に手」  そっとリビングのドアを開くと、エプロン姿のヨリが皿に盛ったおかずを小さなローテーブルに運んでいた。インスタントの野菜スープとコンビニのコーンサラダ、そしてそしてなんと、頼んでもなかなか作ってくれないお手製のオムライスが二人分大きめの皿にこんもりと盛られている。既にトマトケチャップはかけられていて、顔に似合わずかわいらしい猫ちゃんの顔が描かれていた。  言われた通り、脱衣所で早急に手を洗い汗でびっしょりのフクを洗濯機にぶん投げてから再びリビングへ戻ると、既に腰を下ろしてテレビを見ているヨリの隣りへ静かに正座をする。肩と肩がぶつかりそうになるくらいには狭い。 「向かい行けよ」 「いや、その……そういう気分だなって」 「どういう?」 「えと、ほら。えへへ、ちょっと前向いてて」  そういえば、バンカラマッチで一緒のチームになったガールちゃんが言っていたのを今になって思い出す。今日ってキスの日らしいですよ、まあおじさんには無縁なイベントですねえ、なんて酷い煽りを受けたそのバトルではその憤りを発散するためにギラついた目で二桁もの相手を撃ち落としてやった訳である。でも冷静に考えたらさすがに大人気なかったなと落ち込みながら帰路を辿って現在に至る。でも今は、こんなにも胸の奥が温かく恋人が愛おしくて堪らない自分は、随分と現金なやつだなあと少し呆れてしまった。 「お、い……」  そっと、頬に触れるだけのキス。ゆっくりと見開かれていく薄茶色の瞳に見つめられるのがなんだか照れ臭くなってしまい、まるで何もなかったかのようにいただきますと手を合わせてオムライスと向き合った。程よい固さに焼かれた卵のお布団の真ん中をスプーンの先でそっと切れ目を入れる。次第に見えてきた色鮮やかなチキンライスが中から姿を現して堪らずじゅるりと喉を鳴らした。 「おいって」  他の惣菜たちに目が眩むことなく真っ先に掬った一口を慌ててぱくりと飲み込んだ。懐かしい味と匂いに包まれて頬が緩む。ヨリのオムライスにはグリーンピースがない。その代わりに甘いスイートコーンがたくさん入っているのは、本人がそっちの方が好きだからと以前に聞いたことがある。なんて、呑気に頬張っているともう待てないと言わんばかりに腕を掴まれ、そのままヨリの胸元へと体が引き寄せられた。食事中、だなんて言い訳は聞いてもらえるはずもなく。 「んっ……う、ふ、んあ」 「……ヤり逃げたあ、いい度胸じゃねえの」 「別に逃げてないもん」  まだ酸っぱさが残る口の中へ侵入してきた舌に好き放題絡められ、堪らず両手で押し返したら逃さんとばかりに背中に腕が回る。そのぬくもりに体が包まれて、疲れた心がみるみるうちに氷解している気がした。 「……キスの日だっけか」 「なんだ、知ってたの?」 「それにかこつけて出来っかなって、正直期待してた」 「ははっ、さいて〜」 「先に仕掛けてきたお前に、俺をとやかく言える資格はねえ」  それはそうですね、反論する余地なし。しかし、これ以上料理が冷めてしまっては勿体無いからと鎌の掛け合いは終わりにしたはずなのに、食べかけだったオムライスを食べすすめていく間にも隙あらば頬やら首やら目元やらに口付けを落としてくるヨリに対し、さすがにこちらもただ黙って口付けられているつもりはない。 「あっ、こら!」  にやにやと顔を綻ばせながら擦り寄っているヨリの隙を突き、履いていたハーフパンツの上から見ても既に若干膨らみ気味のそれを右手で思い切り握り締めた。案の定、びくりと体を震わせたヨリを他所にそのままうつ伏せになって顔を近づけ、すんと匂いを嗅ぐ。その際に後頭部を叩かれたが気にせずその山頂に口付ける。相変わらず元気だなあなんて呑気に零していると、見上げた先に顔を真っ赤にしながら肩を落とすヨリがいて思わず苦笑してしまった。 「お前さ、マジで……何してんの……」 「え、えと。キスの日、だし……」 「まさか責任取ってくれんだろうなあ」 「あ、う……はい。お、大人なので大丈夫、かな?」  寧ろ期待していますなんてそれ以上は言えるはずもなく、しかし明らかに顔に出ていたせいか、考えていることなんてバレバレだったようで。 「……ソッコーで洗いモンしてくっからお前はシャワー浴びてこい! ダラダラすんじゃねえ、あときっちりケツも洗えよ!」 「はい! 分かりました、先生!」 「誰が先生じゃ、誰が!」  ものすごいスピードで皿を回収し流しへ運ぶヨリの顔が、ずっと怒っている割にはずっとりんごみたいに頬を真っ赤にさせているのがなんだかかわいくて、乾いたばかりの下着とバスタオルを抱えてはうきうきと胸を躍らせながら脱衣所へと飛び込んだ。 「あ、えっちなパンツの方がいいかな?」 「どっちでもエロいからお前の好きにしろ!」

(2026.05.29)

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