埋もれた爪痕の話

「バンカラ街って、知ってるか」  意外にも変化は唐突に現れた。自分の耳を疑ったくらいには衝撃的だったと思う。  何でもないいつもの昼下がり。終わりを迎えた春と入れ替わるかのように、颯爽と姿を現した堪らぬ暑さに箪笥の奥に突っ込んでおいたロッケンベルグTブラックを勝手に拝借すると、何の躊躇いもなくするりと素肌の上に一枚着ては日陰へと逃げ込んだ。外よりはマシといった感じで、数日前までは風さえ吹けば涼しかった店の中も今はどこにいても体が汗ばみ、吐く息もどんよりと重くなるばかりである。 「知らなくはない……かな。でもまあ、テレビで特集してたのをちょっと見たくらいだよ。都市開発が進んでて前と比べて賑やかになったとか、若い子たちがそっちで集まってバトルしてるとか」  一日中、かけっぱなしの扇風機が肌に浮かぶ汗を揺らして、氷の揺れるグラスを手に取っては、からりと音を立ててその香ばしい冷たさを喉へと流し込む。本当は、この時点で何かしらの予感はしていたのかも知れない。 「もしかして、興味あったり?」 「……いや、別に。そんなんじゃねえけど」  不安そうに揺れるその声がやけに頭にこびりついて、掛けようと思った言葉を自然と飲み込んでしまった。どこか寂しそうで、でも神妙なその面持ちにどくりと胸の奥が高鳴って、向けられた横顔が送る視線の先はがやついたテレビ画面。カメラの前でマイクを掲げリポートするインクリングのざらついた背景の先には、幾つもの高い建物が並んだその街、たった今噂をしていたあの街が確かに映し出されていた。 「なあ、マゴ」 「な、何」 「なんかちょっと、体動かしてえからさ。軽くガチ行ってくるわ」 「え、あ……め、飯! 夕飯は!」 「店開ける前には帰ってくる」  声に力がなかった。どこか落ち込んでいるようにも見えたけれど、玄関先に立てかけていたホクサイヒューを肩に担いで静かに店の外へと出た彼の背中を見送ることしか出来なかった。言い表せないような不安に掻き立てられたものの言葉の通り彼はきちんと今日も店に帰り、風呂の掃除や店番をこなしては揚げたての鶏のから揚げを美味そうに掻き込んでいる。それが逆に恐ろしかった。普段からヨリは何かあると顔に出やすい。なんとなく気まずそうにしていて、なんとなく言葉が出なかったり、なんとなくいつもの調子が出なかったりする時は大抵、一人では解決できない悩みや不満を抱えていることが多い。それがどうだ、まるで昼間の出来事は何もなかったとでもいうように平然と過ごしているのだ。 「おっ、コーヒー切れてる。追加持ってくるか?」 「う、うん。じゃあ、お願いしようかな」 「あれ……おいマゴ、カネ合わねえぞ! 絶対さっき小銭ばら撒いた分だろ」 「あー、ごめん。あとで探すから待って」  いつにない良い働きぶりを見せる彼に感心するものの、日頃の行いのせいか、その様子にやはり違和感を覚えてしまうのは致し方ない。しかし結局、今日という日も特に問題なくいつもの一日を過ごしてしまい、再び朝日を拝んだ今もすぐ隣りで実に気持ちの良さそうに隣りの布団でぐっすりと眠っているヨリはちゃんとそこにいた。  やはり考えすぎだったのだろうか、このままでは自分の胃を痛めるだけ痛めて終わってしまう。それはそれで少し腹が立ったのでその日の午後、彼がいつもの通りガチマッチで生活費を稼いでる間、店の手伝いに顔を出してくれたリンに思い切って相談をしてみる事にした。 「どう思う?」 「どう……って。普段掃除でさえ適当かましてるヨリちんが売上のことまで気にするなんて、どう考えてもおかしいでしょ」 「だよねえ!」  つい一人でくよくよと悩んでしまう者にとって、やはり共感できる相手がいるというのは精神的にも非常に助かる存在で、改めてリンという家族がいることに心の中で感謝をしつつ本題へと入る。 「バトルに行くっていつも出てくけど、最近帰りも遅いし」 「きな臭あ~」 「何かあったのか聞いても、何もねえの一点張りなんだよ」 「ははあ、こりゃ黒ですわ」  こうして気になったことを声に出して並べてみると、さすがに様子がおかしいと認めざるを得なくなる。おかしいわけではないが、これまでの態度と比べると明らかにおかしい。そんな微妙な矛盾から生じる違和感をやはりこのまま黙って見過ごすことはできなかった。 「ヨリちんってさ、大事なこと一人で悩んでる時、あーだこーだしたくないから作業に没頭して何も考えないようにするとこ、前からあるよね」 「あー、分かる。そうなんだよ。自分からは何も言わないし」 「それでいて勝手に突っ走って大抵失敗してる」 「でもって、後からすまんかったって言えばいいとか思ってんだ」  異議なしにより二人で同時に頷き合う。やはり、ヨリは自分たちに何かを隠している。それは間違いなかった。あとの問題は隠されている側が果たしてそのことに干渉すべきなのかどうか、彼もいい大人であるし放っておいても勝手に解決まで辿り着く可能性も考えなければならない。つまり、余計なお節介になりたくはないのだ。 「……大人なのに心配しすぎとか、ちょっと気にしすぎって思う?」  常に不安だった。気を遣うことも、気を遣わせすぎてしまうことも。ヨリはああ見えて真面目で責任感がある。それ故に今までも誰かに頼ることを避け、出来る限り自分の力だけで何事も解決しようとしていた。その結果、どれだけ自分自身が傷を負おうとも。そんな彼を守るためには周りの人々が率先して動かねばならない、いつの日かそう結論付けて今に至る。無鉄砲で考えなし、大切なものの為なら自己犠牲などなんのそのなのだ。  そんなヨリの性格をこの世界でよく理解してくれているのは、まごうことなく今目の前でぷんすか頬を膨らませている店の看板娘、リンである。 「……ううん。というか、ヨリちんはマゴにいのパートナーでしょ? 知らないところで危ない目に遭ってるかも知れないって考えたら、そりゃ心配するの当たり前だよ。第一、前科者だし」 「ぜ、前科」 「早いうちにどうにかしないと、また何も言わずにフラフラ~ってどっか行っちゃうかも。マゴにいはそれでもいいの?」  腕を組み不満そうにそう話すリンの言葉には少なからず心当たりはあった。ヨリが突然自分たちの前から姿を消し、暗がりで暴行を受けていた彼をどうにか二人で助け出した過去は今でも忘れられない強烈なエピソードの一つでもある。あの日ほど心臓が爆発しそうになるくらい息が乱れた日はない。周りの助けがなければ今頃全員無事では済まなかっただろう。 「……そう、だよな。何もしないで後悔するより、やって後悔だな!」 「鉄は熱いうちに打てって言うもんね」 「よし。そうと決まれば早速動くぞ! リン、悪いけど今日は店を閉める。君は暗くなる前に家へ……あだっ!」  幸い、風呂はまだ沸かしていない。今のところ客の姿もまだ見えない。一歩を踏み出すならば今しかなかった。居間に転がっていたショルダーバッグを拾い上げ、コタツの上に置かれたエゾッコメッシュを颯爽と被り、床に落ちていた髪留めで他より気持ち長めのゲソを後ろへ束ねた。特別なものは何もない。とにかく今はヨリの動向を探ることに目的を絞ろう、そう思い一歩足を踏み出した時、小さな手が自身の腕を捕らえすんなりと体勢を崩された。そして視界が高さを失った直後、額に飛んできた強烈な痛みに思わず変な声を漏らしてしまった。 「痛いよ、リンちゃん」 「あたしは悪くないもん」 「じゃあ俺のせい?」 「当たり前でしょ」 「何で!」 「……だって、」  ヨリちんを探す時は一人じゃ行かないって約束。そう、目を細めながら訴える彼女のピンク色の瞳に堪らず目頭が熱くなると同時に、かつて別れの際に自身が送った言葉を思い出した。 「もしや、忘れていたな!」 「ごめんなさい……」 「……あたし、今も二人のこと大事な家族だって思ってるよ。そりゃ勿論、お姉ちゃんと違ってケンカも出来ないし、手伝えることはほとんどないかも知れないけど、でもやっぱり、あたしだって困った時は力になりたいから」  絞り出した言葉を必死に伝えようとするリンのその姿に、いつの日か見た、まだ幼かった頃の彼女が優しく寄り添ってくれた数年前の日々が頭の中に浮かんだ。誰よりも誰かのことを考え、行動して、誰かのために涙を流せる彼女が愛おしかった。それでいて自身のこととなるとそれをすっかり蔑ろにしてまで手を伸ばそうとする儚さ、ふと目を離したら消えてしまいそうなその存在を必ず守ってあげたいといつしか強く思うようになった。それが今ではどうだ、気付かない間にこんなにも強く優しく成長している姿を傍で見ることの出来た幸せに胸が苦しくなる。 「……ありがとう、リンちゃん。もう仲間外れになんてしない。だから、もし君が良ければまた俺と一緒に来てくれないか」 「もち、そのつもり。ヨリちんがもしバンカラに行ってるっぽいならついでに観光でもしよ! あたし、行くの初めてなんだよね」 「あはは、目的変わっちゃってるじゃないか。でも、まあいっか。ちょっと距離もあるし、念のため色々と準備だけはしておこう」  最悪今日は店へと戻れない可能性も考えなければならない。どうやらそれはリン自身も理解しているようだった。しかし、まだヨリがあの場所へ向かっているという確証はなかったので、まず調査すべきはいつも彼がガチマッチへと出向いているハイカラスクエアとなる。 「よし! じゃあ、アイツがガチから引き上げる前にこっそり見つけ出さないとな」 「そもそもそのガチ行ってるっていうのも嘘なんじゃないの?」 「え? そ、そうかな。ホクサイ担いでってるし、さすがに行ってないことはないと思うけど……」  疑問符を浮かべながらもスクーターのシート下に荷物を詰め込み、後ろにリンを乗せてスタータースイッチを押し込む。空気を震わすエンジン音と数年前と比べてすっかり大きくなった手が腰に回り、安心感と気合が相まって自然とハンドルを握る手に力が籠もる。日はまだ落ちていない。未だ胸の奥に残るしこりのような不安が残る中、何も起きないまま全てが済んで欲しいと心の中で祈りながら風を切るように誰もいない店を後にする。 ***  結果からいえば、もしかしたらという予感は正しく的中していた。といえどヨリ自身は嘘をついていたわけではなく、ハイカラスクエアのロビー内で携帯電話を弄くりながらバトル開始を待つ彼の姿は確かに見つけたし、調子が良かったのか実際ガチバトルに参加しているところも二人でこっそり観戦していた(それがなかなか面白い試合ばかりでついつい熱中してしまい、リンと共に試合の様子を見ることの出来るモニターの前で普通に応援してしまった)。  昼が過ぎ、ハイカラスクエアの喫茶店で軽食を食べていた頃。携帯電話に一通のメッセージが届いて、差出人の名を見てすぐにその内容を確認した瞬間、確信し互いに頷いては店を出てすぐさま尾行を開始する。 「野暮用が出来たから夜には帰る、だと」 「あ、ほら。噂をすれば早速出てきたよ。早く!」  どことなく足取りの重そうなヨリを少し遠くからスクーターを押しつつゆっくりと後をつける。考え事をしながら前を歩いている様子でこちらに気付きそうな雰囲気はまるでない。しばらく身を隠しながら歩いていると、その先で辿り着いたのは見慣れたハイカラスクエアの最寄り駅だった。もしかしたらこのまま店に帰るつもりなのかも知れない。帰らないつもりで颯爽と飛び出してきたのにそれはそれで困ると思いつつ、スクーターを駐輪場に停めヨリがホームへと進んでいったタイミングで切符を購入する。と同時に見上げた先の発車標にはハイカラシティ方面の時刻が表示されていて、そしてもう一つ。 「バンカラ、街」  見間違うはずもない。最近出来たばかりの路線、未知なる地へと向かう電車が到着するホームにひとり彼は確かに立っていた。迷っているわけでもなく、恐らく初めてとは思えない慣れた様子で普段は乗るはずのない場所で静かに佇んでいる。バンカラ街行きの電車は約五分後、彼が購入したであろう同じ切符を二枚購入して跨線橋の中で身を隠すように仲良く二人で階段へ座り込んだ。吹き込む隙間風がぶるりと体を震わせて危うくくしゃみが出そうになったが慌てて息を潜める。すると、それを察したリンが着ていたマウンテンフローズンを颯爽と脱ぎ縮こまった自身の両肩からふわりと掛けてくれた。 「風邪引くよ」 「ほわ……イケメン……」 「もっと褒めたまえ」  優しく気遣ってくれた彼女のぬくもりに包まれながら、これから向かうバンカラ街に関する情報を頭の中で整理することにする。その街については、テレビで見た豆知識程度のことしか分かっていない。街の外に広がる砂漠、植物さえ育つのが難しい乾燥地帯の中に複数の古い建物が立ち並び、まるで古城のようなその街の姿は見たものの脳裏にしっかりと焼き付けてくる。不慣れな環境も相まって不安な気持ちも多かったけれど、どうやらすっかり観光気分でいるらしい隣りのリンの笑顔に少なからず胸のつかえが下りた。  どこからか甲高い警笛が聞こえる。エアーブレーキの空気が抜ける音が辺りに響いて、ホームに人気がなくなってすぐ最後尾の車両にそっと乗り込んだ。ヨリは二つほど離れた車両に入っていったのを見かけたし、車内はほとんど席が埋まるくらいのガールやボーイたちが乗っているためとりあえずは鉢合わせになりそうにはない。どうにか座席を確保して、リンを隅の席へと座らせてからその隣りへ並ぶように腰を下ろした。 「ヨリちん、見失いそう」 「うーん……でも、下手げに近付くのもなあ。アイツ変なとこ勘が良いし」 「……あ、そうだ! ねえマゴにい、あたしにちょっといい考えがあるんだけど」  そう言って、揺れる車内でそっと耳打ちしてきたリンの言葉に、初めはしっくりと来なかったが先程ヨリから届いたメッセージをふと思い出して、暫し熟考したあとに仕方がないと静かに頷いた。 (帰りが夜になるってことは、しばらくはあいつもあそこに留まる気ではいる、ってことだよな)  長丁場になり慣れない場所を彷徨いていては次第に周りから目のつく存在になる。それに、もしも今日中に店へと戻れないとなるといくつか着替えとしてフクを確保したいという気持ちも確かにあった。つまりリン曰く、普段着ていない新しいギアを身に着け自然な振る舞いで捜索と調査を始めた方がいいという作戦でもある。  そしてついに到着した未開の地、第一印象としては複数の高い建物に取り囲まれる威圧、その異様な雰囲気にしばらく馴染めそうにないという落胆から旅は始まった。案の定、人混みにまぎれたヨリをこれ以上追跡することは叶わず、とにかくしっかりと現地で準備を進めたのちに情報収集から始めることに決め、財布の中身を確認しながら街の中で目についた店へと早速足を運ぶと、そこには見覚えのある意外な人物が機嫌の良さそうに新作らしい数々のフクを物色していた。 「あら、どっかで見たことある元ヤンガールちゃんが」 「おっ、いつの日か見たような気がする風呂屋のおっちゃんが」  そう言ってけらけらと笑う彼女は焼きイカちゃんといって、リンの腹違いのお姉さんである。性格はやや粗暴、しかし友人思いで人を気遣える優しさも持っている。ヨリよりも真っ黒な肌は日焼けサロン通いのおかげらしい。彼女の友人であるハットさん曰く、寂しがり屋で一人が苦手。それでいて腕っぷしは強く、ある一部の界隈では伝説の敏腕ヤンキーと謳われていた過去もあり、正直なところ敵に回したくないタイプではある。そんな今日の彼女はいつものボンボンニットではなくボーイッシュなウールーウーニーズクラシックを頭に被り、褐色肌がきらりと映えるウミボーズホームとショートパンツが活発な彼女らしさを表しているようでとても似合っていた。話を聞けばどうやら流行に敏感である焼きイカちゃんもバンカラ街を訪れたのは今日が初めてだったらしく、早速とばかり新しいファッションを求むべくショッピングに嗜んでいたようで。 「ハイカラシティやスクエアもオシャンなの多かったけど、こっちもなかなかイイやつ揃ってんよ。ほらほら、リンちゃんも色々着てみい!」 「やったー! ほら、マゴにいも新しいの選ぼ。これも作戦のうちなんだから」 「作戦、ねえ」  それらしい理由を述べているもののすっかりショッピングモードに入ってしまった二人を横目に、仕方がなしとさほど興味のない新品のフクたちを眺めながら、出来るだけ地味で且つダメ出しをされなさそうなセンスが相まっている程よい塩梅のものを探すことにする。

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