隙間を埋める話

 耳障りな喧騒が風が凪ぐようにふっと静まり返った。長い間付けたままだったアイマスクをゆっくりめくり上げると、その時初めて今日という日が既に終わりを迎え始めていることに気付く。  それなりにバトルをしてクマサン商会でアルバイトを終えたあと、バンカラ街にそびえ立つタワー前のベンチで一休みするかと横になったことだけは覚えていた。そして、乱雑にハーフパンツのポケットに突っ込んであったはずのお札数枚は当然と言わんばかりに無くなっていて、せっかく頑張って稼いだ夕飯代もパーになったところで帰り支度を始める。 「あ〜、腹減ったあ」  朝から体を動かしていた割には昼飯を抜いていたことを思い出した。裏通りに夜だけ開いている露店で肉まんか何か適当に買って帰ろう、と思ったけれどそれさえ買えないくらいには文字通り無一文。 「……しゃーね。帰って一杯飲も」  確か家の冷蔵庫にはビール缶が二本入っていたはずだった。贅沢言えばつまみも欲しかったけれど、所持金をしっかりスられてしまったばかりにそれはもう叶わない。  一人で飲むのは好きだった。孤独感に苛まれ、やけ酒になってしまうこともしばしばあったけれど、空っぽの心を手軽に埋めるには何かと便利な代物で、その場凌ぎと分かっていてもつい手を出してしまうのも今となっては日常茶飯事である。 「何やってるんですか」 「あえ」  どきり、と肩が震えた。さすがに今日は会わずに終わると思っていたので純粋に驚いて変な声を上げてしまった。振り向いた先には想像していた通り、不満そうな顔で腕を組んでいる知り合いがじっとりと睨みを利かせている。 「こんばんは、おつかれさん、さようなら!」 「夕飯奢りますよ」 「おお、元気そうじゃん。会えて嬉しいぜ!」  我ながら心底情けね〜と思った。しかし背に腹は変えられない。それに誰かの温もりが少し恋しいなと思っていたところだったので、来た道をUターンしながら溜息を吐いた彼の隣りに並んだ。  セイくん、それが彼の名前。最近も最近、ここ一ヶ月の間に出会ったばかりの若いボーイくんだった。今日みたいに昼寝をしている間に手持ちをスられそうになったところを助けてくれたのが出会った切っ掛けで、それ以来顔を見掛けると声を掛けたり掛けられたりしてる。彼曰く、危なっかしくて放っておけないらしく、どうやら生粋の世話焼きボーイ君のようだった。 「また取られたんですか」 「五時間くらい寝ちゃったっぽくてさ、スッカラカンよ」 「も〜……おカネだけならまだしも、怪我とかしたらどうするんですか」 「そん時ゃそん時。どうにかなるでしょ」  家のない生活も短くなかったので腕っ節はそれなりに自信がある。これまでにも何度か複数人に囲まれたこともあったが大抵には返り討ちにしていたし、喧嘩の怪我は日常茶飯事なので多少のことでは気にならない。それでも昔と比べたら生活は落ち着いた方で、今は年下の子供たちにバトルのトレーナーをお願いされることが多く運動がてら時々付き合ってあげていた。 「いつまでもそうやって落ち着かない生活してるからチビ共にバカにされるんです。威厳ってものがなさすぎる」 「まあそう言うなって。これでも俺なりに頑張ってんの」  やれやれと肩を落とすセイを他所に行きつけの居酒屋へ辿り着くと、店の外に置かれた丸椅子にいつものように腰を下ろし、ビールケースに木の天板を乗せただけのテーブルを挟んだ向かいに座ったセイが慣れた様子で一杯目の酒を注文した。 「奢りは一杯目だけですからね」 「さっき夕飯奢ってくれるって言った!」 「じゃあ一品だけならいいです」 「真剣に考えるので時間をください」 「却下。すいません、このフライドポテトも一つ」 「あーん!」  外で飲む酒は美味い。日が暮れて少しばかり冷えた夜風が火照る体に爽やかな心地良さを与える。  セイはお人好しだと思う。外でフラフラしてる危なっかしい輩を放っておけない生真面目な性格をしている。とか思えば当たりは強いし頑固者で、俺の我儘にほとんど耳を貸してくれたことはない。それでも昼寝をしている間にスられそうになっていた俺を幾度となく唯一救ってくれたのは、他でもないセイだった。 「あんな、俺さ。こんな酔っ払ってる時に言うのもなんだけど、お前には感謝してるんだぜ」 「またその話ですか」 「うん、他にオトモダチおらんからさあ」 「昔はチーム組んでたって自分で言ってたでしょ」 「それはほんとに昔の話。もう自分から手伸ばすのは怖えの」 「チキン野郎だ」 「なんとでも言って」  既に汗まみれのジョッキグラスを握り締め、半分ほど減ったその残りを一気に口の中へ流し込む。痺れるような快感が喉を通り体中へと巡る感覚に思わず濁声混じりの息を吐いた。向かいから、おじさん臭いと眉を顰められる。 「……バトルは好きなんだ。悲しいこととか辛かったことも思い出しちまうけど、まだなんの穢れも知らんようなガキンチョがさ、たくさん教えてくれてありがとうってデッケェ目輝かせて言うわけ。だから俺、昔のこと後悔してるわけじゃねんだ。そん時の経験があったから、トレーナー紛いのことも出来るようになったし見たかった笑顔も見れたんだよ。でもそれとこれとは話は別で、同じ過ちは絶対繰り返したくねえんだわ」 「やっぱチキンじゃんか」 「はい、そっす」  酔っ払うとつい余計な話をしてしまうのは俺の悪い癖だった。自分の中ではもう消化しきっているはずなのに、こうしてああだこうだとまるで後悔しているような言い回しで自身を語ってしまうのは、きっとそれなりに未練が残ってるからなんだろうと思う。その現実からただ目を背けたくて、必死に考えないようにしている自分の弱さにいつも飲んだ次の日は決まって落ち込み、一日中布団を被ったまま一人部屋で過ごすのが今ではすっかり定番になっている。 「スられる覚悟はあるくせに変なところメンタル弱いですよね」 「どうせザコですよぉ」 「自分から別れを申し出たくせにいつまでも未練タラタラな元カレってきっとこんな感じなんだろうな」 「躊躇なくとどめ刺すのやめてくれる?」  傷付いたと言わんばかりに胸元にそっと手のひらを当てると鼻で笑われてしまった。あまりにも無慈悲。しかし、変に慰められるよりそれくらいはっきり素直な反応を示してくれる方が正直なところ変にもやついた気持ちを抱えずに済んで、かえってその方が俺にとってダメージは少なかった。そんなところが、唯一今の俺が友人として関係を築ける理由であり彼の長所なのである。 「ところで、」 「へあ?」 「なんで俺が、飯が食えなくても自業自得すぎるあなたに飯を奢ってあげてるか分かります?」 「わかんない」 「素直でよろしい」  わざとらしくげふんと咳払いをしたセイは、頬を火照らせながら小さく溜息をついてすぐ、飲んでいたカクテルを一口含んでごくりと喉を鳴らして言った。 「いや、その……すいません。気まぐれです」 「だよねェ!」 「ってのは嘘、で」 「…………セイが酔ってる……」 「う、うるさいなっ。俺だって酔うほど飲みたくなる時もあるんですよ」  セイにしてはとても珍しいと思った。普段はアルコールが入っても基本的にポーカーフェイスでそう簡単に内面をひけらかすような性格じゃないのに、今日はなんだかいつもより表情が豊かのように感じる。俺がどうでもいい話をするたびに眉を顰めたり呆れた顔でくすくす笑ったり、とにかく雰囲気がやわらかくなっていることに今更気付いて今更驚いていた。 「……ラッキーだって、思って」 「俺と飯食えんのが?」 「そうですよ。偶然会えて、年甲斐なくガッツポーズしそうになりました」 「セイが酔ってる……」 「殴りますよ」 「うそうそ、ごめん! はい、続けて」 「……楽しいんですよ、あなたといると」  勿論、心配もしてますけど、と話すセイは明らかに酒のせいだけではないほどに頬を赤らめていて、それに気付いた瞬間に俺の顔もぶわりとすぐに熱くなっていった。彼からそんなことを言われる日が来るなんて思ってもいなかったから、なんて言葉を返せばいいのか全く分からなくて、それでも必死に浮ついた頭で考えて咄嗟に出たのはありがとうの一言で。 「やば……ちょっと俺、普通に、嬉しいかも……」 「気持ち悪くないですか?」 「そんなわけないじゃん。俺泣き上戸なんだよ、今やばいのほんとに」 「それ、喜んでもらえてるっていう解釈で間違ってないですか」  そんな身のない会話をしている間にも次第に視界は揺蕩い始め、溢れたそれを誤魔化すように何度もこくこくと頷いた。年上なのにそんな情けない姿をむざむざと見せつけてしまったことのショックもあるけれど、そんなの今に始まったことではないのでそこからの立ち直りは早い。何より、情けなさよりも遥かに嬉しさが勝った気持ちで浮足立って、勢い余って居酒屋からの帰り道ににっこにこの笑顔を掲げながら肩を組んだら普通に顔を殴られたので腹を抱えて笑ってしまった。 「重い! 臭い! うざい!」 「わはは、さっきのデレはどこ置いてきちゃったの!」 「生意気な口利くならこのまま路上に放置していきますよ」 「ごめんね、うそうそ。早く帰ろっ」 「宿代はあとできっちりそのカラダで払ってもらいますからね」 「えっ……やだ、セイったらそんな……えっち」 「バンカラマッチかクマサン商会か、死に場所だけは選ばせてあげますよ」 「ごめんなさい、ちゃんとおカネで返済します!」  天秤にかけられた俺の命乞いにやれやれと肩を落とすセイの声がどこか弾んでいるようにも聞こえた。そして、仕方がないと伸ばされた手をしっかりと握り返した途端に堪らず同時に漏れた笑い声、それがなんだか可笑しくてひっそりと沈んだ闇を吹き飛ばすように声を上げて肩を揺らしていた。

(2016.06.30)

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