エアコンを買えばよかった話
*** 「おにいちゃん」 長い夜だったあの日から一週間が経つ。相変わらず暑さで寝付けない俺達は、二日に一度くらいのペースで夜のバトルに参加をしているものの、以来例のガラの悪いボーイ集団には一度も会えていない。別に会いたくて仕方がない訳ではないが、一発チャージャーでぶち抜きたい気持ちも少なからずは存在する為、それをなかなか決行出来ずに腑に落ちない気分になっているのは確かだった。体の痣は次第に薄まってきたものの、完全に消えるまでにはまだ時間が足りないらしく、痛みも完全に無くなった訳ではなかった。 「お薬塗りまーす」 「あぁ、はーい。お願いしまーす」 あの日、チビッ子達には黙っておこうとこっそり部屋に戻ろうとしたのだが、妙に勘のいい二人は夜中だったというのにぱっちりと目を開け、布団の上で正座をしたまま此方をじっと見詰め、目があった直後に(非常に長い説教と)秘密禁止令が施行された(ものすごく怖かった)。自分達だけ置いてけぼりにされたのが余程寂しかったのか、これでもかというくらいこっ酷く怒られてしまったので、次の日からはきちんと目的と外出先を告げて外出をしている。そして勿論、体中の痣の事もばっちりばれてしまったので、今ではチビガールに自分では塗れない部分に薬を塗ってもらうのが習慣になっている。 「いつも悪いなぁ」 「いいの。早くこの痣、なくなって欲しいから」 ベチン、と音を立てて背中を撫でるこの時のチビガールは、何故だかいつも機嫌があまりよろしくない。もしかして仕方なくやっているのではと思い、さり気なく遠回しに聞いてみたところ、頭上に疑問符を浮かべながら、何で、と逆に問われてしまったので恐らくそういう理由ではないのは間違いない。だとしたら何が原因か、と思い切って直接問い質してみたところ。 「腹立つじゃない。おにいちゃん、何もしてないのに」 と、これまたつんつんと尖った回答が返って来た。 「まぁなぁ」 「どうして一発ぶん殴んなかったの」 「ははは、そう言われましても」 「ボーイのくせに信じられない」 「心配してくれたのか?」 「当たり前じゃん、馬鹿」 「そっか、ありがとな」 段々声が小さくなって、ついには押し黙ってしまった。薬を塗っていた手も次第に動きが止まる。彼女が自分の為に心配してくれている事は重々承知していた。あの日の夜も、そして今現在も。 反撃したくなかったと言えば、嘘になる。十分すぎる程好き放題させたのだから怒りが生まれない訳がない。それでも限界まで耐える事が出来た。確信も保証もなかったけれど、彼は確かに自分の元へ来てくれた。真夜中の暗い街の中を彼方此方へと駆け抜けながら。 (我ながら、女々しいよな) しかし、真っ向から否定出来ない辺り、それが事実である事を証明しているかのようで急に照れくさくなってきた。 「おにいちゃん?」 「……ま、俺はあの日ジュースを買いたかっただけだし」 「変なの」 「でも、うまかっただろ? たこ焼きジュース」 「もう完璧ぬるくなってて不味かった!」 「げっ、そうかぁ。じゃあ次は買ったらすぐ帰って来るよ」 約束だ、と彼女に告げると、不意に後ろから小さな腕を回された。背中に小さな体がぺったりとくっついたその優しい温かさに頬がつい緩んでしまう。不安だった気持ちを必死に我慢して、それでも溢れてくる微かな啜り泣く声さえとても愛おしかった。 「……約束、守ってよね」 「分かった。指きりげんまんな」 「うん」 振り向くとすぐ目の前には満面の笑みが溢れていた。その時、視界の端に映ったテレビの映像にふと目がいった。報道番組のようで美人のインクリングキャスターが淡々と最新ニュースの原稿を落ち着いた様子で読み上げている。 (……あれ?) そして、ある一つのニュースがクローズアップし、流れた映像の中に何処かで見覚えのあるインクリングのボーイが一人映っていた。 「……も、もしかして、今の」 「なになに? 知り合いでもいた?」 顔がぼやけている為に確信は持てないまま、テレビ画面はライブ映像へと切り替わった。どうやら見慣れた街の一角でアナウンサーがインタビューを行っているらしい。マイクを持ったスーツ姿のインクリング(所謂大人のお姉さんってやつだ)が広場に立っていたあるボーイに声を掛けた。 『……ハイカラシティで行われているナワバリバトルの……裏で賭け事をして金品等の受け渡し……暴力や盗難等も……ダイナモローラーを駆使し見事逮捕……インタビューをしたいと思います。貴方が逮捕に協力したボーイくんですね!』 『? あ、はい?』 「……え?」 「えええーー!?」 アナウンサーが広場でインクリングの波を掻き分け、その先でマイクを向けられたのは言わずと知れた、我らのチビボーイがいつものぼけっとした眠そうな顔ででかでかとテレビに映されていた。一体どういう事なのか理解する間もなく、カメラを向けられたチビボーイへのインタビューが続く。 『まだ小さいのに君一人で悪い人達を捕まえてしまうなんてすごいですね! 怖くありませんでしたか?』 『……でも、おにいちゃんも、いじめられたから』 『なるほど、オニイサンの仇討ちという事ですね!』 『うん……でも、ケンカは駄目だって言われてたし、好きでもないから。ケーサツのひとがいるところまで、ダイナモで巻き込んで押して行っただけ』 『くう~! 兄弟愛がなせる技ですね! ワタクシ、感動致しました! 以上、小さなヒーローくんへのインタビューでしたー! イカよろしくー!』 (おいおいおいおい……) 「すごーい、ユウってばテレビ出てるじゃん!」 目が離せず開いた口も塞がらないとはこの事である。チビボーイが捕まえた悪い人達というのは恐らく、いや確実に一週間前の柄の悪いボーイ集団に間違いない。故意に狙って轢いたのか通りすがりで轢いてしまったのか(街中では武器は使用禁止であるとチビボーイとて知っているので、その可能性は低そう)は分からないが、どちらにせよたった一人でいてこましてしまうチビボーイの天才的な技量に驚きを隠せなかった。 「こりゃ、一本取られたな」 「録画しておいてあげればよかったね~」 「そうだなぁ。まぁ、後でまたやるだろ」 アイツを怒らせるとえらい目に遭う。今のところは実際に怒ったところを見た事はないけれど、いずれお目にかかるかも知れない恐ろしい未来が、出来れば一生来なければいいなと心の中で強く願ったのだった。 *** 「……調子はどうだ」 「あ、悪い。気、遣わせて」 日が落ちて辺りがオレンジ色に染まり始めた頃。チビガールが買い出しへと出たすぐ後、古くなった包帯を巻き直していると、いつの間にかふらっと部屋まで入ってきていた彼が隣に腰を下ろした。 「ナギは」 「今日のメシのおかず買ってきてもらってる」 「で、お前は」 「新しく包帯巻き直してる……んだけど、そのう」 「背中、やればいいんだな」 「やった! ありがと、助かるよ」 たまにはチビガールに頼らずに自分で薬を塗って包帯を巻こうと思ったものの、やはり見えない背中を一人で処理するには難しいものがあり、ちょうど困っていたところでタイミングよく彼が来てくれたものだからついその存在に甘えてしまった。 持っていた包帯と薬のチューブを手渡してあぐらを掻きながら背中を向ける。ジップアップカモの袖を膜って薄く伸ばしながら塗り、右肩から腰にかけて斜めにぐるぐると包帯を巻かれる。清潔なつんとした匂いが鼻を掠り、慣れた手つきでテープを止めると、よしと呟かれた瞬間にばちんと手の平で叩かれた。 「いだいっ」 「痣がないところのはずだが」 「そういう問題じゃないですっ」 おぉいて、と小さく呟いては、後ろからはくすくすと笑いを堪える声が漏れて溜息を吐いた。すると、布団の上に二人横に並ぶよう座り直すと、意外にも彼はすぐさま真剣な表情へと戻り、じっとこちらを刺すような視線で見つめていた。 「ところで」 「な、何」 「その痣、綺麗に治るよな」 「あ、えと……うん、多分。今のところは順調に消えてるから」 「……そうか」 下を俯きサファリハットの鍔で隠れて見えない影を帯びた表情に、ようやく今でもはっきりと残り続けている左脇の紫色に染まった痣の事を言っているのだと気付いた。 義理堅い彼が今となっても心の底に留めているその痣の存在を、おそらく今の今まで忘れた日は一日たりともなかっただろう。当の本人はすっかり慣れて全く気にしていないというのに、あの日の長い夜を思い出しては一人心苦しんでは真っ赤な瞳を濁らせている。 (オマエのせいじゃない、って。何度言ったところで納得しないんだろうな) それなりに長い付き合いになってきたものだから、彼の融通の効かない性格は理解しているつもりでいる。だからこそ、言葉だけでは分かってもらえない部分がある事も知っている。長い長い時間をかけて、互いに許せると思える気持ちが芽生えなければ、こればかりはどうする事もできない。 「……なぁ。メシ、作ってくれよ」 「は? なんだ、突然」 「今夜はさ、チャーハンの材料買ってきてもらう予定なんだ。ナギもオマエのメシ好きだし。頼むよ、お願い! この通り!」 「ったく、オマエってヤツはよ……」 「ダメ、かな……」 「作ってやる」 「へ?」 「作ってやるって、言った」 チビガールが買い物に出かけてからそろそろ一時間が経過しようとしている。その場に立ち上がり、のそのそとキッチンへ向かった彼はほとんど空の状態の冷蔵庫をチェックすると、壁に掛けておいた、クラゲのアップリケが散りばめられたエプロンを頭から通して背中でしっかりと紐を結ぶ。 「これで、貸し借りなしだからな」 「あ。うん。えと、ありがと……」 「たっだいまー!」 「おっ、ナイスタイミング!」 玄関から元気よく響き渡ったチビガールの声ににやりと微笑んで、冷凍庫に二つ残っていた白飯を電子レンジにぶち込んだ。ばたばたと部屋へと駆け込み、すぐさま事のあらましを察したチビガールは押し付けるように持っていたビニール袋を彼へと押し付けては飛び込むように胸の中へと飛び込んできた。次第に流れ始めた食欲をそそる良い匂いに、二人してお腹の音を響かせてはこっそりと苦笑した。(2016.01.17)
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